カテゴリ:■心・精神・魂( 39 )
物質信仰の汚染・・・
江原さんの東京講座だった。
年間チケットは、今年始めに、あっと言う間に売り切れた。

今年9回のスピリチュアル講座も、今日で7回目。
あと2回で今年も終わるのかと思うと、
えぇ~っ、もう1年経っちゃうのォー! と絶望的にすら思える。



今日の江原さんはニューヨーク帰り。
黒いジャケットの全体に黄色の星が点々と描かれ、背中には白いドクロが!
さらに、キラキラのラメが光り輝き、

  The New York! あるいは The Entertainment!

           会場は一斉に盛り上がった!


いつもながらの「毒舌絶好調」!
しかし、体調イマイチ、出る杭打たれる、で 中傷誹謗にもほとほと嫌気がさしたのか、
なにやら、かなりの決意を彼から感じた。

   もしかしたら、来年は講座が無くなるのかな・・・・。
   テレビ出演は、かなり減らしていく気だな・・・・。
   ということが、彼の話からヒシヒシと感じられた。


今回のNew Yorkが、一つのきっかけになったのだと感じた。
  あまりの波動の荒さに、到着してすぐに「帰りたい」と思ったのだそうだ。
  グランド・ゼロでは、両足が震えるほどの波動らしい。
  多くの家族を呼ぶ声が聞こえた、と言う。



私もアメリカに居た頃、ニューヨークに1週間滞在したことがある。
   その1週間で約4kgほど痩せた! (ダイエットにはピッタリ?)

   なぜなら、治安がかなり悪いと言うことを知っていたから、
   ほとんど緊張のしっぱなしだったのだ。

   そのくせ、深夜にバスに乗ってセントラルパークで下車、ホテルに帰ったりして、
   その時現地でお世話になった女性に、
   「えぇ~! そんなこと、もうゼッータイしないでよっ!
    あそこは何があってもおかしくないんだから! 何も無かった方が不思議よ!」

    と叱られたり・・・・・。 (ーー;) もともと無謀なタチでね・・。

   しかし、運動神経もいい方だったから、四方八方に気を配り、
   なぜか「大丈夫」という絶対的自信があったのだ。
      まぁ、今はゼッタイにダメだけど。(笑)

そのパワー全開の頃に訪れたニューヨークだったけれども、
街を歩きながら、底知れぬ大きなエネルギーを感じた。
それは足元に大きな口が開いているような、怖いほどのパワーである。

「アメリカン・ドリーム」が生まれるのも理解できる、と思ったけれども、
1週間後にサンフランシスコに戻った時、これほどの安堵感は無かった。


  江原さんは、ニューヨークと東京の波動が似ているのかもしれない、と言った。
  私も同感。
  日本はアメリカを追っかけ、中国は日本を追っかけ、
  やがて物質信仰に溺れ、人間は自滅していくのだろう・・・・。

  金銭・物質に第一の価値観をおく民族というのは、
  やはり低次元なのだと思う。
  しかも、日本全体幼稚化傾向、日本人の意識は崩壊という絶望的状態。


ニューヨークを見て、江原さんは限界を感じたのだそうだ。
全身全霊で、命を賭けて真理を伝えたい、という思いで走ってきたが、
所詮、人間である以上、肉体的にも限界がある。
そういう思いを込めて命を削ったところで、
力が及ばない物質主義の大きさを感じてしまったのだそうだ。


  私は正直、ホッとした。
  このままでは、数年で彼は命を持っていかれるという人もいたから。

  私も「我が身を投げ打って取り組もう」と思う方なので、
  彼の志も信じられたし、思いも凄く感じていたが、
  今の世は「魔」の力の方が大きく膨れてしまったのだ。

  我が身を護りながら、
  自分の周囲だけでも光に満たす努力をして生きるしかないのだろうか。




                 そうなんだろうな・・・。

  世の中がこうなってしまっては、所詮、焼け石に水・・・。 という気がする。

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(2004年11月ハワイツアー最後の夜から)

  
by anrianan | 2005-10-02 20:18 | ■心・精神・魂 | Comments(6)
To the sea ・・・

朝起きて、海が見たい・・・と思った。


  江原啓之さんの講座の中で、
    「睡眠中は、霊界に帰っている」という話があった。

  運気の変わり目であったり、精神的な衝撃の後だったり、
  やたら眠くなるのは、充電されて癒されているのだそうだ。
  だから、眠い時には睡眠が必要なのだ、と思った方がいいみたい。

  そのせいかどうか、私は最近起きられない。 と言うより、起きたくないかも。
  目が覚めて、現実の世界に居ることを否定したい気持ちになる。
  そして目を閉じると、また霊界に戻る。
  寝ている間、次から次へと様々な夢を見て楽しいのだ。

  眠り姫のようだ・・・・。(「姫」? (-_-メ) チョットネェ・・・


  あまり寝ていると腰が痛くなって、仕方なく起きる。

  とりあえず、朝の禊は行い、祝詞を挙げ、
  あとは何も考えたくなくなる。



観音崎まで海を見に行こうか、と思っていたが、雨が降り出した。
  「これは、行くなってことだ・・・・」と諦めた。

  すると30分ほどして薄日が射して来た。
  でも、出かけるとなると着替えて、化粧して・・・なんて考えて面倒くさくなる。

  それでも「海が見たい!」と無性に思い始め、
  仕方が無いので、メガネをかけたまま深く帽子をかぶり、
  歩いて1分もしない近場から「海」を眺めることにした。
  海へ行くには、この道が一番近い。

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  ほんとは「たたら浜」に行って、素足で海に入りたかったのだけど、
  そこまで行くにはエネルギーが足りない。

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  → コレは上の写真の白くなっている部分。



  この2枚を撮ったら、
     デジカメの電池も切れた。
  (私と一緒の「電池切れ」と思う。)

  ちょっと突っ立って眺めていたが、
  風が意外にも涼しくて、
  ものの5分もしないうちに帰宅。









              なんだか、迷路から抜けられない・・・・。


by anrianan | 2005-09-28 12:58 | ■心・精神・魂 | Comments(10)
「好き」と感じる心・・・・

私は楽天に出店しているのだが

   なぜだか、『楽天』が好きだ。



理由は自分でも良く分からないが、
「好き」なものを仕事にすると (チョット、意味は違うと思うが)
  ① まずは「幸せ」であり、  ② 「成功する」  と思っている。


「成功」の意味も、人によってそれぞれだけど、
  ① 物質的・金銭的成功   ② 心が満たされる成功

    が、私にとっての“成功”である。



しかし、現在、私個人で経営・運営しているわけではなく、
「雇われ店長」なので、
事ある毎に、店舗の継続が脅かされ、難しくなってきている。


  まず、扱っている商品数が「圧倒的に」少ない
  そして、「決して値引きをしてはいけない」

   はっきり言って、この2つで充分に勝ち目は無い。

   どんなに精魂込めて、時間を使って働いても、
   結果が出るまでに「時間がかかる」

 しかし、短期間である程度の結果を求められる現状としては、
 無理難題、無謀、イジメとさえ思える。

 しかも、給料が売上の歩合制となると、
           まったく話にならない。

   毎月毎月「仮払い」を受けて、マイナスばかりが多くなっていく。
   置屋の女郎のような気分になってくる。
    - 借金が増えていく一方で、どんどんぬかるみにはまっていく。
      足が抜けなくなっていく。 という感じだ。



      外資でも働いたことがある私が、
      なぜ、こんな状況に陥っているのか・・・。



            省みると、

  話がどんどん変わっていくので、
  「様子をみよう」と思っているうちに、ハマってしまっていた。
  騙された気分になってしまうのは、なぜだろう?



私は「お金」がすべてだとは思っていないが、
無ければ「生活をしていけない」ことは確かだ。



「仕事」とは、
      自分ができることを世の中で活かすことだと思っている。
      それに対していただく「お金」は、
      エネルギーの報酬だと考えている。



    資格を取ったり、勉強したりするのは、
    「給料を上げたいから」という人が多いだろうが、
    結果としては、
    そうして得た知識や技術が、
    まわりまわって世の中のためになることが多いと思う。

    だから、必要があるならば、
    そういう努力をしないよりはした方が前向き。
    そして、そうして得た知識や技術に対して
    「無料」だと思うのは違うのではないか?


「楽して、給料は多く、休みは多く」は、虫のいいよね。

   けれど、
   世の中には、給料や休日に関係無く、
   無償の気持ちで仕事に取り組む人間もいる。

  そういう人間に対して
  ほんとに「無償」だったら、どうなるのだ?

  ふんっ、経営者は「得した♪」と思うのだろうか。

  そういう人間的歪みは、
  必ず巡り巡って、自分に返っていくのだ!
  と、私はそう信じている。



つくづく、出会いの大切さを感じている。


自分の中に、無数の引出しがあって、
  ある時、一つの引出しが開く・・・・
  すると、その引き出しの波長が同じ波長の人間を引寄せる。

 
  でも、全く「同じ」という訳ではないから、
  その人間と
「化学反応」を起こす。

  目の前の人間によって、
  私は自分の中のいろいろな要素が、
  
デフォルメされて抽出されるように感じる。


だから、逆の言い方をすれば、
  「こういう人になりたいな」 「この人、なんか好きだな」
  という人と付き合うと、自分もそれに近づいていける、

        そう感じている。



「第1印象で分からないよ」
   「人には、それぞれいい所があるんだから」


       と言う人がいる。
  それに反対はしないが、賛成も出来ない。


       第1印象は、当たるよ。



  「やっぱり、自分の好き嫌いは良くない」とか
  「この人にだって、いい所があるんだから」とか努力しても、

  そういう両方をひっくるめて、結果として「好き」か「嫌い」か、
  その予兆が第1印象ではないか、と最近強く感じている。




あの世に、「階層」があるのだと言う。

  浄化するごとに階層があがり、
  身内の子孫ばかりでなく、
  国のため、世界のために働く霊に昇格していくのだそうだ。
  「私」→「公」になっていくわけだ。


私は、この生きている現世界でも
「同じ階層」が存在している
のだ、と思っている。

  あの世では、同じ階層の霊としか出会えないそうだが、
  この現世界では、上の階層の人間と触れることで、
              自分が向上していけると考えれば、

              生きる意味が納得できる。


  どちらが上か、下か、なんて目に見えることではないが、
  魂では感じていることだとも思っている。


幅広く関わりたいのであれば、そうすれば良いし、
自分を高めることに集中したいのであれば、そうすれば良いと思う。
それこそ、それぞれの選択だ。

   だから、
      「なんとなく好き」・・・・これは大切な感覚なのだ。
                     ゼッタイに侮れない感覚なのだ、と思っている。


by anrianan | 2005-08-23 12:33 | ■心・精神・魂 | Comments(8)
「本当の幸せ」と「生きる意味」・・・
昨日のフジTV放送『天国からの手紙』が、頭の中を巡る。

人間は目的、課題を持って生まれて来て、
寿命も決めてくる、と言う。

私は母と「寿命」について、「ほんとに、そうだよねぇ~」と納得しあう。

   母は8年くらい前に「くも膜下」で倒れ、助からないと言われた。
   私は半年くらい時をずらして、肺結核で助からないと思われていた。

   なのに、この二人、
   何の後遺症もなく、今も生きている!


今、占いも霊能もヒーリングも、すべてが「イッショクタ」で
ついでにTVだと“視聴率重視”だから、
その人物の人間力も人間性も関係ないのだろうけれど、
江原啓之さんは「本物だなぁ」と感じた人だ。

   私も“ナンチャッテマップ“が出来るほど、
   精神世界や見えない世界の先生と呼ばれる人を見て来た。

最近、あまりにも有名になっちゃって、中傷も多いようだけど、
実際に近くでその人物に触れてみると、感じるものだ。


実は、昨年の10月の
『江原啓之とのスピリチュアル ハワイツアー』なるものに参加したのでした。

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    実際に触れてみる江原さんは、デッカクて(身も心も!?)、
    察しが早い(・・・言葉にしていないことを、聞いているという感じ)。
    
    周囲が「江原啓之」の名前で利益をあげようとする反面、
    彼がその何倍も気を遣っている、という印象を受けた。


一人一人が見えない真実に悩み、迷いながら生きているのだし、
その過程が「学び」だというのも理解できるが、
その中で、こういう「見える人」が居ると聞きたくなっちゃうんだろうなぁ。
彼の本を読めば、答えは書いてあるのだけれど、
人間はどーしても、「快楽」「簡単」に流されやすいのだと思う。

     「価値があるから生きるのではなく、生き抜くことに価値がある」

              身に染みる言葉だ・・・・・。
by anrianan | 2005-08-10 08:50 | ■心・精神・魂 | Comments(12)
虫の知らせ・・・~識念は飛ぶ~・・・

久しぶりに、電話で母と話した。

たいてい電話をすると
「お母さんもさぁ、かけようと思ってたんだぁ!」
と嬉しそうに話す。
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じゃ、かけてよ。と思うのだけれど、
お互いに気にしながらも、
忙しいだろうしとか
多少の遠慮もあったりして
タイミングを逃すのだろう。



気になったら、即行動! が良いと思う。



d0046294_1459462.jpg「虫の知らせ」と言うけれど、
気になる時は、その人に何かあったり、
その相手の想いが私の元に飛んで来ていたりする、と思う。
(平安時代の「識念が飛んでくる」というやつだ・・・)





2年くらい前だった。

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小さい頃から可愛がってくださった
ピアノの先生を、
毎日やけに思い出していた。
「会いに行こうかな」
「電話しようかな」
と思いつつ、
その時の自分は
胸を張って会えないような気がして、
連絡をし損ねていた。

数日して、
ご主人から「亡くなった」と電話がきた。


私の話もしていて会いたがっていた、と聞かされて、
言葉は何も浮かばず、涙が止まらなかった。




なぜ、気になった時に連絡を取らなかったんだろう・・・。

今でも悔いる気持ちがある。
「後悔、先に立たず」とは、よく言ったものだ
と胸が痛む。



それ以来、
例えば、
前に好きだった人だとか、古い友達だとか、
連絡することにためらいを感じる人が妙に気になるとき、
「連絡したら迷惑かな」「今更連絡するのも・・・」 などという
“自分がどう思われるか”という心配や見栄は捨てて、
素直な気持ちで連絡をするようにしようと思っている。




日増しに大地震の話題が頻繁になり、
数日前も今月中に“南関東大震災”の情報が入った。

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いつ、どこで、何があっても、
少しでも、悔いを残さない生き方をしていたい・・・。


by anrianan | 2005-05-29 15:12 | ■心・精神・魂 | Comments(0)
「平凡成就」をめざす「波乱万丈」の日々

『パワーモーニング』とか『朝型人間の成功哲学』なる本に
今、最高潮に影響を受けている私は

休日も朝寝坊してはいけない! と自分を戒め、
6時に起きた。 (エライ!)


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しかし、
平日には4時起床としているせいか、
6時に起きると、なぜか「寝坊」したような気分になった。
なにか変ではないか?

朝起きて、「あ~ぁ・・・」という気分になってしまうなんて。

6時は、決して遅い時間ではないではないか!
と自問自答しつつ、・・・


逆境と闘ったり、
変化に富んだ波乱万丈が好きなのだろう

ということを、私はおぼろげに感じているのです。

あぁ、いやだ、いやだ・・・・。


なんだ・・・、
やっぱり「平凡成就」なんて無理だな・・・。




どうやら私の先祖たちは、武士のような
命がけの人生を生きた人間が多いのではないだろうか、と思える。
そういう血筋は時代が変われども
脈々と子孫に流れているような気がする。
それを「遺伝」というのではないだろうか。



以前、家系を調べた事がある。
9代前までさかのぼることが出来たが、その先は無理だった。
お寺の過去帳も火災に合い、
本家とされている家の蔵も火災に合ったということで
家系図や資料となるものには出会えなかった。

しかし、調べている過程で
さまざまな出来事や噂話を聞いた。

それは、先祖たちが人生を生きた証でもある。

その一人一人の想いが、
私の細胞の一つとなって生きているのではないか、という気がする。

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私はなぜこの「家」を選んで生まれたのか?
   なぜこの「日本」を選んだのか?
   なぜ「女」を選んだのか?・・・



そして、これらの選んだ条件によって、
悩みが生じたり、物理的限界や拘束を感じたりしている。

人生って、いったい何だぁ?

「魂の学びのため」なんて、言葉で言うのは簡単だけどね。



“肉体を持ったがゆえに生じる感情や五感を楽しむため”
“だから、何でも楽しめる生き方をしようよ! 
というのが今の私にはいいのかな・・・。


by anrianan | 2005-05-29 00:39 | ■心・精神・魂 | Comments(4)
あの世とこの世
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どこから撮った写真に見えるだろうか?







飛行機の窓から見る風景は、見ていて飽きない。

眼下に広がる雲の隆起は、
あちら側の世界を想像させる。



以前、天使が人間になって地上に降りたという内容の映画を見た。
タイトルやどこの国の映画だったかは忘れてしまったが、
確か、天使は「パン屋」の店主だった。
演技とはいえども、その“肉体を持った喜び”の表現は
言葉にならない感動を私に与えた。



肉体を持たない魂の存在にとっては、
見るもの、触れるもの、全てが喜びなのだろうと思える。



中国やアメリカなどの大陸の上を飛行機で横断すると、
どこまで行っても途切れる事のない大地に驚く。

ポツンと豆粒ほどの家が見えると、

その中で生活している人が居て、
その人も何かしかの悩みなどを持っていて、などと想像する。
眼の下に広がる大地と、あまりにちっぽけな人間の存在に
言葉を失う。



こだわらず、とらわれず、楽しく、喜びを持って生きる事を
神様は望んでいるのだろう・・・・、と思ってしまう。




上の写真は、帰りの電車の中から撮影した写真をひっくり返したもの。
雲の上も下も、きっと同じなのだ。



雲の下でも、上にいる時のように生きること。
これが、人間として生きている課題なのかもしれない、と最近思う・・・。



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by anrianan | 2005-05-21 12:24 | ■心・精神・魂 | Comments(1)
「花」を取るか、「実」をとるか・・・。
父が結婚したての頃、
花嫁となった母を見て、
父のプレイボーイだった友達の一人が言ったそうだ。

「花じゃなくて、実を選んだな」

私なら、「なんて失礼な!」と言うだろうが、
その話をしてくれた母は、笑いながら嬉しそうに見えた。


? 




母は美形でないと自覚しているからだろうか。
(と書いている私も失礼な!) (~o~)

それとも、
人間は「中味が大切」と知っていたからだろうか。




母は若い頃、すごく太っていた。

お見合い写真をみたら、
ふっくらと白い顔をして(白黒写真だから「白い」)
素直で純朴そうな“田舎の娘”が、そこに居た。

父は太った女性が好きだったそうだ。
そして、美人好みではない。

なのに、母は美男子を好んだ。
(今は「おもしろい人がいい」と言うが)
だから、二人はうまく行った。






寅さんが「金魚草がさ・・・」、と話し出した。

寅さん:「花は咲いてなかったんだけどね、枝振りが綺麗だったのよ」
     「見て、おっ!いいなぁ~ってさ」(女を物色するような目つき)

私: 「惚れたんですね。 花よりも実・・・じゃなくて、葉っぱですか」

寅さん:「違ぅのよ 花が、とか、実が、とかじゃないのよ」
     「その花や実をつける過程・・・プ・ロ・セ・スがいいのよ」

私: 「ほぉ~! プロセスですか・・・」

寅さん:「おぉ、人生と一緒よ!」

     「ね、造詣が深くなるでしょ?」







造詣が深くなると、
「花」を選ぶ人間は「実」を選ぶようになるだろうか?


いや、ならないだろうな。


問題は造詣の「深さ」かな・・・
by anrianan | 2005-05-18 15:50 | ■心・精神・魂 | Comments(0)
「声」って、何?
自分にとって、心地良い「声」の人がいれば、
聞くたびにイライラする人、楽しくなる人、気が滅入る人など、
さまざまな人がいる。

だいたい、好きな人の声は好きで、嫌いな人の声は嫌い。
これは生理的・主観的の両方が原因する。

外見から想像もしていなかった「声」が飛び出すと、

なんでぇ?! と思ってしまう。

男性は声変わりがあり、女性は無いというが、
多少年齢とともに低音になっていくようだ。

日本では、高音の「かわいい声」が“女の子らしい”と言われるが、
西洋では、ハスキーで低音の女性は“セクシ~”なので、
“口を開けて直接シャワーの湯をのどに浴びる”と何かで読み、
中学生の頃に真似したことがある。
その頃から「かわいい」よりも「セクシー」を評価していたわけだ(!)。

美輪明宏さんが「声はその人の人格を表す」
と、あるTV番組でおっしゃっていた。

まさに、その通り!! と拍手喝さい。

ということは、
嫌いな声=嫌いな人格、ということか?
ん~、そうとばかりも言えないだろうが・・・。
「声」ばかりに原因があるのではなく、
話し方だったり、言霊だったり、
振る舞いも含めての総合評価だと思うのだが、
さし迫って、
そういう人間が身近で「克服の教材」として存在するとき、

・・・あなたなら、どうする?
by anrianan | 2005-05-16 14:07 | ■心・精神・魂 | Comments(7)