竹の筒に入っている豆腐を食べた。
例の、週に1回来る五右衛門豆腐で初めて買ってみたのだ。
ざる豆腐、石臼豆腐、木綿豆腐、絹豆腐、湯葉豆腐、・・・・・・と一通り食べて、ようやく竹筒豆腐。
食感が、濃厚なプリンのようで美味しかった。
それぞれの豆腐の違いを知るのが楽しいし、料理によって買う豆腐も決まって来る。
さて、・・・・・・・。
今から書こうといているのは、「豆腐」の話ではない。
この豆腐が入っていた竹の器の話である。
物心がついた頃に住んでいたボロ家の隣に、竹藪があった。そこでは確かに、太さ5-6cmの竹がたくさんあった(ように記憶している)。
しかしこの歳になって、「生」の竹を見ることがあまりなくなったなぁ、と改めて感じた。
この豆腐を食べながら、「竹筒」とは書いてあるけど、
「これは、何に入ってるんだろう?」
と、思わず見入ってしまったのだ。
「竹じゃ」
と、その時一緒に食べていたおナカさんが、こともなげに答えたが、
「へぇ~! 竹?」
と、私はますます見入ってしまったのだ。
なぜだろう?
余りに美しかった、というのもある。
そして、見慣れていないから「本物」も分からない。
でも、確かに言われてみれば「竹」だ。・・・・・・
あまりに“立派”な容器に見えて、
(これ、返さなくていいんだよなぁ。)
なんて考えてしまった。
この竹容器、もちろん機械で切ったり削ったりしているのだろうけれど、1本の竹からどのくらい作れるのだろうか?
どのくらいの竹が切られているのだろうか? どこの竹なんだろうか?
竹がこのくらいの太さになるまで、何年かかっているのだろうか?
さまざまなクエスチョンが頭に浮かび、ちょっと不安になってくる。
自然の資源は時間をかけて育つのだ。それを「機械」を使い、大自然の時間に反するスピードで、人間は物に変えていく。
手造りでは生産性が落ちるし、利益が出ないということなのだろうけれど・・・・・・。
そういう生活って・・・・・・。
といいつつも、これで酒を飲もうと考えている私。・・・・・・ ウシシシ
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