昨日、駅前スーパーで
“梅”を見かけて
「
ハッ!」とした。
毎年季節が巡ってくるのは当然だが、
家の庭には
「実のなる木」がいくつかある。
父が
“花より実を選ぶ”人間なので、
(「哲学をする!?」-花を取るか実を取るか 参照)
庭にも当然「成りもの」がいくつか植えられている。
「梅」もそのひとつ。
毎年、この時期になるとたわわに実をつける。
その様子は「ホ~ラ、見ろ!」と言わんばかりだ。
今年は、
大小合わせて
「満員電車」のようにひしめき合っている。
「もう! 騒がしいんだから!」というようにも見えるし、
みんなで楽しそうに、おしゃべり♪しているようにも見える。
さて、問題はこれから。
毎年、実をつける木が
実をつけるたびに
私の心は
・~波立って~・揺れる。
恋をしている時の
ハラハラドキドキ
という感じである。
(・_・;)
いつ、採ったらいいのぉ・・・・。
あ、風が強いから落ちちゃうかも・・・。
うわぁ~、鳥にやられてるぅ・・・。
梅には梅の人生(梅生?)があるのだろうが、
「つけた実は、活かしてあげねばならない」と考えている私は、
収穫する日を作って、
果実酒にしたり、ジャムにしたり、
いろいろと「実たち」の今後を考えてあげねばいけない。
これが結構大変なのだ。
時間もお金もかかる。
今年も、その時期がやってきたわけだ。
お母さ~ん、
助けてぇ~!
と、
毎回心の中で叫んでいる。
母は手早くて、果実を煮るのが好きなのである。
果実たちの「加工コース」を考えるのは、
巣立っていく卒業生の進路を決めるような、
はたまた成長していく子供の行く末を案じるような母心のようでもあり、
自然の力に対する畏敬の念でもあり、
「生」あるものに生かされている感謝でもあり・・・・。
要は、「もったいない」(だけ?)
食べられるものが地に落ちて、腐っていくなんて!
その落ちたものは、
その地の栄養となっていくかもしれないが、
「せっかく実をつけたんだから、採ってあげて食べようよ!」
というのが私。
完熟した実が、人知れず朽ちてゆくなんて!・・・・・
我が身ヲ見るようダ・・・・ (;o;)
・・・はぁ~、あの梅たち、どうしよう~。 (ーー;)ナヤムオトメ・・・