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オペラ 『ファウスト』
公演の受付をお手伝いする縁で、14日のゲネプロを見学することができた。
私はスタッフや出演者の素顔が合間に覗くゲネプロが好きである。

今回さらに嬉しかったのは、15日と16日のメインの出演者がダブルキャストになるため、2回分を鑑賞できたこと。
(一回が3時間強、ということは、約6時間!!)
これは、演じ手が変わると内容が全く違ったものになってしまうという恐さと面白さを再認識できて面白かった。


オペラ 『ファウスト』_d0046294_905363.jpg「役者は年齢を超えて演じることができる」
といわれるが、それはどうかな? と最近私は感じることが多い。
年齢を重ねた方が、技量や情感に巾が出て暖かく熟成されたものになっていることは多いが、「若者」を演じる時には、それが邪魔になることもあると感じるのだ。

「若い」ということは、それだけで無責任だったり傲慢だったりすることでもあるから、人生を行き抜いてきた貫禄や安定感を身に付けた人間が、「儚さ」や「初々しさ」のようなものを無意識に発するのは難しい。

しぐさや所作で表現するのは力量や技量でもあるとは思うが、「その人」から自然に発する人間性や思考、または年齢的な未完成さなどは、香りのように放散されるものだと思う。

例えば、同じ女郎を演じても、色情が全面に出て「哀れな女」になる人もいれば、どこか憎めなくて品を感じさせる人もいる。
その役者の現生活のあり様が、演じる時には赤裸々に暴かれるものなのだと思っている。


私が演劇をやっていた時、どうしても自分のものにならない台詞というのがあった。
どんなに感情を込めても(込めたと自分で思っていても)、私の意識の中でその台詞を肯定するものが無いから、自分のものに出来ないのだ。
オペラ 『ファウスト』_d0046294_91555.jpg一つの台詞の裏側には、その人間の様々な人生での出来事が隠されている。 だから、架空の人物であったとしても、その人物の人生を丸ごと理解するくらいでないと、たった一言の台詞が身に付かないことの恐さを感じた。

指導者は、そんなシチ面倒臭い御託は並べなかったが、
「あんたの中から、その言葉が出てないんだ」
と指摘された時、
(そんなことはない!)
と思いながら、どうしても自分では納得出来ない。

オペラ 『ファウスト』_d0046294_922747.jpgしかし逆に、大して熟考もせず気にも止めていなかった箇所で褒められることがある。
私の中から自然に出ている、というのだが、それもあまり理解出来なかった。 が、褒められたので気分は良かった。


「いい」
と言われる時、その人が自然発光している時なのだと思っている。
他の仲間を見ているとそれはよく分かった。 でも、自分のことは見えない。
現実の人生でも、きっと同じなのだ・・・・・。


オペラ 『ファウスト』_d0046294_924385.jpg

舞台で全情熱を傾けながら輝く彼らを観て、さまざまなことを考え、感じ、久しぶりに心に暖かい灯火を感じて帰路に着いた。






9月15日(4:00PM開演)、16日(2:00PM開演) 神奈川県立県民ホールにて。
URL:http://www2p.biglobe.ne.jp/~jmo/

by anrianan | 2007-09-15 08:18 | ■芸術orエンターテインメント
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