オーストラリアで幸運にも野宿をせずに済んだと思いきや、
そのホテルの経営者は同性が大好きで、ナオキは見初められてしまった。
枕を抱えてやってきた彼は・・・・・・。
「部屋に扇風機が無いんだ。暑いから君の部屋で寝るよ」
そういうなり、彼は部屋の反対側にあったツインベッドの片方を、ナオキのベッドにくっつけた!
どうやらアツイのは彼の思いのようだ。
ビビッたナオキは、なるべく壁側に寄って張り付くように寝ていた。
まもなくすると、まるで芋虫が転がるように、はたまたのり巻きが坂を転がるように、
彼はゴロゴロと転がってナオキにピタリとくっついて来た!
ウワァ~! やめてくれ~!
ナオキは必死に抵抗をする。彼も必死にナオキを組み伏せる。
そして予告編の写真となるわけだ。
けんちゃんがオーストラリアンとなり、ナオキに迫った!
受講生は爆笑の渦だ。 下手なお笑いよりもよっぽど笑える!
行け~! もっと攻めろ~!! (爆)
こちらの応援も虚しく、ナオキがおカマをほられることは無かった・・・・・・・、
残念っ!
ナオキは必死に力の限りを振り絞り、彼を押しのけた。
ああ! 目の前のエサに食いつけないワンコのように、彼もさぞかし残念だったに違いない。
これじゃ、泊まらせ損だっ!
こんな怖い思いをしても、バス停で野宿する気にはなれなかったナオキだが、
結局あまり眠れないまま夜が明けた。
その経験のせいか、自分が寝ている上から人に乗られるのが嫌だと言う。
特に、目を開けたときに人の顔が見えるのが怖いと付け加えた。
私の近くに居た女性たちの間で、ささやき合う声が聞こえる。
「ねぇ、女に乗られるのも嫌なのかなぁ」 (笑)
「本当はさぁ、潜在意識では男性が好きだから、それを隠そうって意識が働いているんじゃない?」
「ああ! なるほどね~!」
「誰か試してみたら?」 (笑)
私は思った。
(女性が上に乗るのが嫌なんて・・・・・、経験ないのかい、ナオキ?) (^.^;)
試しに一番人気のマユちゃんが上に乗る。
「うわぁ~、やっぱりダメ・・・・・・」
ナオキの小さな叫びが漏れる。
あ~ら、もったいない・・・・・・。
すると、彼の中でまたさらに思い出されたことがあった。
中学の時に母親から聞いた話である。
まだ彼が赤ん坊だった頃、かなり大きな地震があった。
彼の母親は、物が赤ん坊の上に落ちてこないように彼の上に覆い被さって防いだ。
その時の恐怖が、覆い被さってくる母親の顔とともに彼の中にインプットされたようだった。
「寝ると、このまま起きないかもしれない」
という彼の恐怖は、実は「死」に対する恐怖だったのだ。
「夜寝るのが怖いんですよね」
「何が怖いの?」
という最初のカウンセリングの段階で、「死」ではないかと直感的に感じたが、
あくまで本人の記憶の層を掘り下げて、自身で気づくところに意味があるとのこと。
さらに “なぜ怖いのか?” を掘り下げていく。
この会話から引き出す技術(といって良いのか、感性というべきか)は、習ったから出来るものではない、と解るのは、おそらくやってみた人間だけだろうと思う。
ナオキの回答の中から無意識に発する言葉を拾い、その言葉について質問をしていく。
その質問された言葉について自分の中を見つめ直し、答えを健在意識まで引っ張り上げてくるのはあくまで自分。
それを自分の中に落とし込んで、自分の言葉でこれからの「目標」を設定することによって、今までの思考プログラムが書きかえられる。
最後に筋検査をすると、治療前には踏ん張れなかった筋肉が強くなっている。
腕を下に押されても下がらない。
毎回「不思議だ」と感じるのだが、自分の体が反応するのだから「体は心の声に正直である」としか説明がつかない。
例えば、
酒を飲み過ぎて肝臓を壊した人が「禁酒」しなければならないのは必至。
しかし「なぜ酒を飲むのか?」を深く深く掘り下げていくと、考えてもいなかったところに答えが見つかる。
そして、その答えと対応して「求めているもの」がある。
その「求めているもの」を得るために思考のプログラムを書きかえる、という作業のような気がする。
↓ これがカリスマK (^.^;) ワニが頭に乗ってるわに・・・・
しかし「求めるもの」とは、「願望成就」ではない。これはカリスマKがある記事に書いたことである。
「目標設定」と「願望成就」は違うというのを読んで、なるほどと思った。
結局「願望成就」とは物質的な自己利益であるし、あの世まで持っていけないものが多い。しかし「目標設定」は、魂の安らぎとなり自分という素材を大きく活用していくためのものだ。
キネシオロジーとは筋反射のみを指すのではなく、脳の調整から感情について、思考について、栄養の摂取などなど生きる上でのトータルバランスを診て調える学問といえるような気がする。
知識・技術のみならず、霊感(感性)と人格を磨くことで、より現実界での不具合を治していけるようになるのではないだろうか、という気がしてきている・・・・・・。
目からはがれるウロコは一枚ではない、と聞いたことがあるが、私はこの短い間に何枚のウロコが剥がれたことだろう。
同様に、心からはがれる皮も、何億年分の年輪のごとくあるのではないだろうか。
その一枚がはがれると、下から白くてピカピカした皮が現れるタマネギのように、ちょっとばかり輝くのかもしれない。
ナオキの顔も、ほんの少し白くなってピカピカしていた。