パソコンを教えているお宅の近くに、ペットショップを見つけた。
「へぇ~、こんなとこにペットショップがあったんだぁ♪」
と、可愛いワンちゃんネコちゃんを見にウキウキしながら行ってみた。
きっとどこのペットショップも同じだと思うんだけど、
縦70×横90くらの鉄格子の中に、子犬が一匹ずつ入っていた。
床は鉄格子と同じ鋼鉄素材で細かい網目になっていて、その下に紙が敷かれている。
ほとんどのワンコがおしっこをしていて濡れている。
だけど、直接シートに触れていないから良いということなのか、そのままであった。
こちらからはガラス張りになっていて、直接触れることはできない。
見て歩くと、どのワンコもガラス張りから遠く離れて、向こうの通路側に身を寄せている。
いろいろな種類がいたけれど、私は以前ウチにいた「クロ」が柴の雑種だったので、
柴系にはなんだか親しみがわく。
柴犬の子どもは2匹いた。
こちらをチラリと向いた時、目があったわけではないのだけど、その目が潤んでいるような気がして、私はなんだか涙が出てきてしまった。
「かっわいい~」と歓声をあげて見ている親子がほとんどなのだけど、私はおしっこで濡れているシートと鉄格子、隅っこに身を寄せる姿、それから管のついたチューブのようなものを吸って水を飲む姿を見たら、だんだんいたたまれなくなってきた。
両親が現在飼っている「クック」は、
(スピッツか?)
と思うほどにスピッツにそっくり。
スピッツの子どもは、小さな子が側を通るたびに遊びたいらしく、伸びあがっては視線が子どもを追っていた。
どの子犬も、「可愛い」というよりは「すさんで」見える。
愛情をかけられてもっと可愛がられたら、どんなにきれいになるだろう・・・・・・・。
そう感じてしまった。
その状態を写真に撮ってこようか、と思ったのだけど
それが出来ないほどに胸が痛んでしまったのだった。
帰りがけに、
向こうの隅で顔を見せなかった柴犬の一匹が、こちらを向いて伏せていた。
合わせた両手の上に顔を乗せて、つぶらな瞳は光を失っていた。
(10万円あれば買えるんだぁ・・・・・・・・)
と値札を見て思ったけど、どのワンコに対しても思いは同じだから
いくらお金があっても足りなくなる。
というよりも、値札がついているということ事態に納得いかない自分がいる。
私はガラス窓に近寄って、祈りを込めて心の中でつぶやいた。
(毎日殺されちゃうワンコもいるんだからね、いい飼い主とめぐり合って長生きしてね・・・)
もうペットショップには行きたくない・・・・・・、と思った。
※ 日々ガス処分されているワンコが「せめて苦しまないように・・・・・」、との嘆願書が左側欄外の
「~☆ ご協力を!☆~」です。
「命」を葬る人間の残忍さはナチスと少しも変わりません。
私は殺されたワンコたちが次の「生」を授かったときに、幸せな環境を与えられることを
心から祈っています。