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11月2日の山蔭神道81代就任祝賀会から、毎日外出となり、 久しぶりのOL並みの忙しさ(?)に、あたふたと日が過ぎた。 6日(日)の神道講座の後に、反省会および報告会があり、 これにて今回の事務局のお役は終了となった。 まだまだ後処理はあるが、あとは本部の方でとのこと。 ホッとするのと、寂しいのが入り混じり、複雑である。 「楽しかった」という共通の思いを胸に、まるで学園祭の後のようである。 → 81代当主の謝辞 祝賀会当日は、歌舞伎の片岡我當丈はじめ、 花園神社宮司、他神社界、政財界、芸術家などなど、 遠くはオランダ斎宮からレオ宮司。 「へぇ~!」と内心驚きの声を上げるご来賓の方々が 足をお運びくださり、 そして、誰一人最後まで席を立つことが無く お見送りをさせていただいた。 当日お願いしていた実行委員の方々も、 みなさん働きがすばらしく、 「体育会系の方が多いんですかね。」 なんて笑ってしまった。 当日までキャンセルが出たりで、 出席人数の確認が最後までハラハラだったが、 蓋を開けてみれば見事にピタリと収まり、 会の進行も僅か10分の遅れのみ、 二次会にも多数の方がご参加くださり、 「奇跡的」な帳尻であった。 偶然と思える首尾の良さは、 さすが「お蔭様の力」が働いたという実感。 81代に引継し、重荷がが解けたせいか 山蔭太主(先代)は、心なしかお元気が無いように感じられたが・・・。 10月24日には、33冊の出版著書を焼き払う祭りを行い、今までの研究知識は、後世に押し付けることなく、 ゼロに戻るということをされている。 そして、万軒行脚をされると言う。 80歳過ぎて、なお現状にあぐらをかくことなく、 白装束を着て、お金を持たず、万軒を廻ると仰る。 なぜか、その話を聞いた時には目の奥が熱くなった。 世の幸せを願って生きる太主の蔭には、 それを支える内助の功が大きいことも忘れてはならない・・・。 楽しかった時間も過ぎ去れば過去となり、 翌日には現実のやるべき仕事が目白押し、 これが現実なのだ、と思いつつ、 なぜか再び「なぜ生きるのか?」と問うている自分がいた・・・。
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