10月20日から4日間
PARCO劇場にて「江原啓之Spritual Time」
その初日である20日と翌日21日、連チャンで行って来た。
チケットは何ヶ月も前に販売されるのだが、なかなか取れない。
サポーターズクラブ ではネットで先行販売をしてくれるので、
もちろん、私もその時に申し込むのであるが、年々サポーターズも増えて来ているので、
サーバーが混み合って、つながらないっ!
別に「追っかけ」をしている訳ではないけれど、今回は初めて2回行ってみることにした。
江原さんにとっては、PARCO劇場に武道館並みの人数が入っているとのこと。
一人の観客が何人も「見えない人」を連れて来ているらしい。
そして、やはり「舞台は生きもの」と言われるが、その通りだった。
1日目は、とにかく楽しくて、おかしくて、箸が転がっても笑ってしまった。
終わってからも、ふーちゃんとふーちゃんのご主人と「楽しかったねぇ♪」。
そして、渋谷の交差点で名残りを惜しみながら「またねぇ~♪」と別れた。
2日目は、やたらに涙が怒涛のごとく止まらない。
I can't stop! ~♪ (「悲しみ」は無いのであるが)
一緒に行った友達も、人一倍大きな瞳から涙ボロボロである。
お互い目が合って、その感動を話そうとすると訳も分からず再び涙、涙、涙・・・・。
ま、その友人も言葉で表現するよりも、映像として捉えるタイプなので、
何か感じている今の状態が、お互いに同じものであると伝わってはいるのだ。
今日もまだ、その余韻が残っていて、思い出すだけで涙が出そうになる。
なぜなんだ? と自分の中で分析を試みるのだけど、・・・・よく分からない。
お蔭で、今日は朝から江原さんのCDをかけっぱなしである・・・・。
私は、いつもどこかで「早く帰りたい」と思っているところがある。
私の魂の癖だと思うが、何でも全身全霊をかけて取り組んでしまうので、
挫折した時には燃焼し尽くしている。
結婚していないし、子供も居ないので、私が居なくなっても困る人は居ない。
私が誰かのためになっているとは、なかなか思えない。
自分の魂の学びのためだけに生きているのであるならば、
「もう今世では充分学びましたので、ここで結構でございます」と思っている。
人間として生まれている以上、誰かの役に立っていたいし、
世の中に貢献できる人間でいたいと思う。
その実感がつかめないまま、つまらないトラブルに巻き込まれ、
つまらない人間に関わってしまい、これも「波長」と言われればそれまでだが、
生きていることが情けなくなってくる。
子供を産めば生きる意味が出てくるだろうか、とも考え、
誰かから「子種」だけもらおうか、なんて考えたりもする。
働いて経済力もつける意味も出て来る。 それが良いか悪いか、は別として。
そういうこと(=生きる意味)を考える日々が続いていた。
けれど、今日はなんだか体の中が “軽い” のだ。
昨日の涙で洗い流したのであろうか・・・。