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食べること、生きること
最近なんとなく考えていたことや今まで自分に問いかけてきて“答えが出たなぁ”と感じていると、活字として目に飛び込んでくることが多くなった。

2月7日(火)の東京新聞の記事もその一つ。
昨年から始めたスイーツ作りは、特に何の目標があるわけでもないのに、熱しやすく冷めやすいと言われてきた私が、珍しく今日まで続いているアクティビティ。
もっとも“熱しやすく冷めやすい”のは、目標に向かっている時は熱していて、達成すると冷めるからだ。
いつも全力疾走していたから、目標達成までの時間が短かったとも言える。

しかし今回は向かっていく目標があるわけでもなく、比較的地味に一人で楽しむ活動としてこんなに続いているなんて、と我ながらビックリしている。(とは言っても、まだ一年も経っていないのだけど)。


続いている理由の一つとして、昨年九月から出稼ぎに出る日数が増えたので、以前のように頻繁には作る時間が取れなくなり、その分スケジュール帳を見ながら
(今度はアレを作ろうか・・・・)
などと考える時間が多くなり、さらに実際に作るまでの時間が“想いの貯め”となり、作ることが小出しの噴出となってそれを繰り返す。
これが“作りたい気持ち”が続いている要因の一つであるような気がしている。
恋愛と一緒で、障害がある方が燃えるのだ。
しかも、一気に燃え上がるよりも炭火で燃えている方が細く長く続く・・・・・・。


ということはともかく、一言でスイーツといってもいろいろな種類があり、
(私はどうやら、タルトやパン系が好きだな)
と感じ始めていた。
食べる方も好きだけど、ここで言う好きとは“作るのが好き”ということ。

その理由が、なんとなくこの記事を読んでストンと腑に落ちた。  (写真をクリックすると大きくなります)
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焼けてくる時の香りはもちろんだけど、生地をこねているのが心地良い。
食感としてはサクサクやザックリというクッキーよりは、ねっとりやしっとりという方が好きなので、タルトなどはまさに“捏ね好き”と“しっとり好き”の両方を満たす。

記事の中では
  “「食べて」というのは「生きて」ということ”
と書かれているが、私的には作った物を誰かに食べてもらうことで、「生きて」と言われているような気がしている。
人の喜ぶ顔を見て自分も嬉しくなり、これが生きる喜びになっている。
喜びや感動は魂の栄養、という感じがしている。


食の中でもスイーツという分類は、やっぱり贅沢品だと思う。
つい最近まで、一般庶民は簡単に食べられないものだった。
作っていると、自給自足では到底揃えることができない材料ばかりだ、と思ったりする。

こんな貧困層の私がこのような贅沢品に興じていいのだろうか? などとも考える。
けれど、物質的に貧しいからこそ心を豊かに保っていたいという思いも強く、焼けてくる時の甘く芳醇な香りやトロリと口に広がる舌触りは、間違いなく五感を通して物質的にも豊かな生活だと錯覚させられる。
そしてその錯覚を味わう前の生地を捏ねる作業でも、次第にキメが細かくしっとりと手に馴染んでくる感触は、私の心のキメもしっとりたおやかにしてくれるような、そんな気持ちにさせてくれるのだ。

作る喜び、食べる喜び、食べてもらえる喜び・・・・・・はまだまだ続きそうだ。



  続いてほしい。







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by anrianan | 2012-02-10 09:33 | ■心・精神・魂
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