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肝性脳症 (Hepatic encephalopathy)
7月10日(日)に意識がなくなり、その晩、私は母の側で、クックは駐車場に停めた車の中で一夜を明かしました。
このまま目覚めなかったら、という不安を抱きながらその後病院に何度も足を運びました。
ありがたかったことは、個室に移されたので面会時間に関係なく訪れることができたこと、そして1時間でも2時間でも傍にいられたことです。その間、母の意識は聞いていると信じ、何度も呼びかけ、話しかけました。
時におナカさんの目尻から涙が流れるように見えたのは、気のせいだったのでしょうか……
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母の意識が戻ったのは、2日後の12日(火)。
私はその日仕事を休ませてもらい、10時ごろだったでしょうか、病室のドアを開けると看護師さんの一人が
「ナカコさん、目が覚めてますよ」
とにっこり。
「え! ホントですか?」
「あ~、よかったね~! もう目が覚めないかと思ったよ~!」
最後の方は、勝手に涙が出てきてしまいました。
すると、おナカさんも私の涙につられたのか、顔をしかめて泣き出しました。
といっても、声を出してワーワー泣くほどのエネルギーはありません。

医師から、「肝性脳症」(肝臓の機能低下による意識障害)であることを告げられました。
さて、目覚めたものの意識はボーっとした感じで食欲はまったくなく、口の中も白くカビが生えたようであり、唇もボロ布が剥がれかけているように皮が剥けています。
治療は通常、口から薬を飲用するのだそうですが、このような状態では水を飲むことさえ困難。
主治医から一つの提案が出されました。胃管(口または鼻から胃に挿入する細い管)を装着し、薬を液体にして流し込むという方法です。
「これしかないと思うんです」
栄養素の補給などのために使うと延命になってしまい、たとえ植物人間になっても何人たりとも外すことができないのだという説明を以前聞きました。胃管を外すことは命を終わらせることになってしまうからです。

「胃管ですかぁ……ん~」(そりゃイカン…)
私の反応を見て、
「栄養の補給ではなく、あくまで薬の注入として使います。あと腸を動かすために、300カロリー分くらいの栄養は入れますけど」
と医師が言うので、お任せしますと了解しました。
その10分後には装着。

そして胃管が入ってから4日間、またおナカさんは眠り続けました。
呼びかけるとたまに薄く目を開けるような感じはありますが、ほぼ眠った状態です。
再び心配の日々が続きました。
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胃管の装着は期間を決めて、1週間から10日と聞いていましたが、5日目の水曜日に病室を訪れてカーテンを開けると、なんだかポケンとした表情の母が子どものような顔でこちらを見ています。
えっ?!
「オカーサン、胃管取れたの?」
「うん♪」
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堤先生からの報告では、自分で胃管を取ってしまったそうです。
「その後本人と話しましたが、もう(胃管を)入れたくないというので、やりません」
と告げられ、私の中には不安が広がりました。
「それでも本人はすっきりした顔をしてるんですよね。なぜかアルカリ性と酸性のバランスが良くて、これがなぜなのか分かりません」
肝性脳症でこの状態になると、意識が戻らない人が多いらしい。
けれど、蘇りました。

思えば、20年前の蜘蛛膜下出血のときも「助からないので覚悟してください」と医師に告げられ、親族が病院に集結したと聞きます。
“聞きます”というのは、この時、親不孝者の私はスコットランドなどにいましてね、この事態を知らなかったのです。
父も父です、たまたま国際電話で家に電話をした私に嘘をついて、このことを知らせなかったのですよ。
知らせたってしょうがないだろ、という気持ちだったようです。

そしてかれこれ38年ほど前に左ひざを粉砕骨折したときにも、
「もう一生車椅子です」
と告げられたのですが、ほぼ普通に歩けるようになり、リハビリも兼ねて社交ダンスの教室に通ったり、朝晩はクックの散歩をするほどになったのです。そういうおナカさんを誰もが
「護られているのよ」
などと言います。
誰に(何に)護られているのかって? 祖母だったり、今回は父(守クン)だったり、でしょうか……?

けれど(腹水が溜まって)カエルのように膨れた腹を見たり、手や足そして顔や唇までもがゾンビのように皮がボロボロと向けた母の姿を見ている私は、今回はダメなんじゃないかと…さすがに打ちひしがれていました。
ところが、目を開けている!
すぐに弟はじめ叔父や叔母、知人友人たちにメールで知らせました。
「母が長い眠りから目覚めました!」


しかし、その後医師からの説明を聞いて再び落ち込みます。
今回は目を開けたけど、今度意識が落ちたらもうダメだと思う、というのです。そして、いつその時がくるか分からないし、いつ来てもおかしくないと。
この先、一生寝たきりになりますと言われたのは前回での説明。
その時も期せずして涙が流れ出てしまいましたが、今回も知らぬうちに流れてきました。

この先、転院か自宅に連れて帰るか、の選択を迫られました。
「こんなに家に帰りたがっているので、家に連れて行ってあげた方がいいんじゃないかと思います。クックも傍にいるし。家に連れて帰るなら、今が最期のチャンスになると思います」
「連れて帰ったとしたら(母の命は)どのくらいですか?」
「2-3日から一週間…」
「・・・・・・」
医師という職業柄、最悪のケースに備えるのでもっと長く生きられるかもしれない、とおまけのように付け足されました。

5月21日のおナカさんの入院から、一生分の涙を流してきたように思えます。
母が私の物を次々となくして、
「オカーサンが来る前は平和だった!」
と吐き出した言葉。
「死んでお詫びをするから!」
と返した母の言葉。
これらが何度も何度も思い返されました。

死んでお詫びにならないからね!
心の中で怒りや侘びや後悔や願いといった感情がごちゃ混ぜになりながら、焼けビールを飲んでは泣き、泣いては飲み、あげくに頭が痛くなり、鼻がつまって息ができなくなって少し感情がトーンダウンする、を繰り返しました。

そういう中で、心の慰めになったのはクックです。
彼女も皮膚病や左目右目また左目と角膜を患い、その都度動物病院に駆けつけました。
おナカさんとクックのダブル介護は、ただただ夢中。
でも会社から帰宅するとしっぽを振って飛び回る姿や、夜ベッドに寝ているときに私の足に伝わるぬくもりや振動は、共にこの環境を乗り越えようとしている者同士という感じがして、存在してくれているだけで救われた気持ちになったものです。
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さて、転院か在宅介護か。
意識があるうちに家に連れて行ってあげたいという気持ちは強くありましたが、一週間の命を覚悟して連れて帰る勇気はありませんでした。目の前で死なれることを想像するだけで堪らなくなります。

叔父や叔母や弟、知人友人の何人かに相談しました。
転院に賛成されると、少しホッとしている自分がいました。そして同時に、あんなに家に帰りたがっているのに…という罪悪感のような気持ちの間を行きつ戻りつ。 そしてまた飲んだくれるのです…

結果、よこすか浦賀病院に転院する方向で進めてもらうことにしました。

さて転院まであとどのくらい共済病院にいられるのか分かりませんが、その間少しでも母の容態が良好に向かうよう考えねばなりません。なんせ次は療養病棟に移るのですから。
ええ、療養病棟では一般病棟のような治療をしてもらえないと聞きましたので……

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8月6日、うみかぜ公園で花火大会がありました。
おナカさんの病室は特等席。
私は夜、クックと病院に駆けつけました。(とはいってもクックは車の中で待っていましたが)
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看護師さんがベッドを窓に向けてくれたり、写真を撮ってくれたり。
目の前に大きく咲く大輪の花火を見ながら、呪文のように何度も自分に言い聞かせました。

きっと快方へ向かう前兆だ……


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by anrianan | 2016-12-14 13:18 | ■とりあえず日記 | Comments(2)