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余談ですが……
おナカさんが昏睡状態に入る前の6月29日、「クックとおナカさんの再会」が実現しました。
これは付き添いの看護師さんが撮ってくれたベストショットです。
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ちなみに、この看護師さんは芸能界にいてもおかしくないほどきれいでかわいい女性。
今回ご本人の承諾をとっていないので、写真を載せることができません。 残念!

話は逸れますが、横須賀共済病院の8階の看護師さんはきれいな人が多い! そのことに入院当初驚きました。
さらに、きれいな上に優しい。一般的には外見がいいと性格が悪いとか、外見が悪いと愛嬌があるといわれますが、あそこはどうも例外です。

話は戻って、
七夕が近かったので、病棟の入り口には大きな七夕飾りがありました。
毎日祈りをこめて面会に通ったものです。

「お母さんがもうすぐ来るよ」
とクックに言うと、ジッと入り口を見続けていました。
「ほら! お母さんが来たよっ!」
そういわれても、ストレッチャーに寝ている母を認めることができません。
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主治医自ら付き添って来てくれました。
そして、実はこの先生も犬好きだということが判明。
クックがおとなしく抱かれています。(男性には吠えることが多いのですが)
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クックに会いたい、と言い続けていたおナカさん。
ほんの15分~20分ほどの再会でしたが、この後とても元気になりました。

そしてこの後、7月10日に下血して意識を失うという経過をたどるのです。


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by anrianan | 2016-11-26 17:04 | ■とりあえず日記 | Comments(3)
敗血症
5月21日に救急車で横須賀共済病院に運ばれたおナカさんは、その日の夜に即入院となりました。
後になって担当医から知らされたことですが、この夜、母は助からないと思われていたそうです。
それほどに、採血の結果が近年稀に見る酷さであったと。
そのことを当時は知らない私でしたが、毎日おナカさんの顔を見に行こう、ということだけは強く決意していました。

翌22日病室に行くと、私の顔を見るなりおナカさんは泣き出しました。
心配かけて悪いという気持ちと、私の顔を見て安心したという気持ちからだったようです。
そういう取り乱した姿を見たことがなかったので、それだけでも容体がただならないものであるように感じました。

四人部屋で廊下から入ったすぐ左側。
おナカさんの両手には大きなミトンがつけられ、両手首はベッドの枠に固定されていました。ベッドの周囲にカーテンが引かれ、この僅かな空間で、太陽の光も空を眺めることなく24時間を繰り返すのかと思うと、それだけで息苦しく感じました。
尿カテーテルが装着されており、心電図や心拍数を計測するためのコードが体のあちこちに貼りついています。
その他にも、こんなものがぶら下がっていたり、
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これは栄養剤かな・・・・・・?
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こんなものもありました。
何がどういう薬なのかまったく知識がないので、とにかく毎日写真を撮ることで記録に残そうと思っていました。
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輸血までされているっ・・・・・・(と、うろたえる私)
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担当医は、救急車で運ばれてきた時に救急外来の担当だった堤先生。専門は血液内科です。
病名は「敗血症」。 (※sepsis--感染に対する制御不能な生体反応に起因する生命を脅かすような臓器障害のこと--wikipediaより)
「血液の中に、ばい菌がいーっぱいいるので抗生物質でやっつけていきます」
との説明を受け、
「何が原因ですか?」
と尋ねると、
「まだ原因ははっきりしていませんが、とにかく体中にばい菌がいっぱいいるので減らすことが先です。 原因よりも結果オーライというところもあるので」
ふむ・・・確かに、結果がよければ全てよしだな。

その後、中心静脈カテーテルというものを右足の付け根に装着しましたが、衛生上を考えて右の首に付け替えると告げられ、しばらくすると今度は左側に付け替えられました。このカテーテルというものは、点滴よりも効率よく薬を体内に注入していけるのだそうです。

さすが現代医学は素晴らしい! 
というほどに、まもなくおナカさんの状態が落ち着き、朦朧としていた意識もしっかりとしてきました。
ベッドの背を少し上げるだけで「痛い、痛い!」と言っていた原因が突き止められ、痛みが消えました。
28年ほど前に左ひざ粉砕骨折をしているのですが、その左ひざに膿が溜まり、その膿が腰や背中に回っていたそうです。
担当医が何気なく膝を触ったときに、やけに柔らかいと思ったそうで、整形外科の先生に頼んでエコーで見たら膿が溜まっており、菌の温床になっていたのだと説明してくれました。

入院直前の整形外科医院で、少し触るだけでも痛がるおナカさんを3人がかりでレントゲン台に乗せて膝の写真も撮ったけれど、膿までは写らないということですね。その時、触診をしたかどうか記憶にありませんが、今回に関しては、整形外科は大失敗でした。

ちょうど私が病室を訪れているときに先生がいらしたことを覚えています。
「原因がわかりましたよ!」
と教えてくれました。その時のおナカさんは、失っていた生きる気力を一気に取り戻したように
「あぁ・・・・・・! ありがとうございます!」
泣きそうになっていました。

翌日には膝にチューブが入っており、膿はほとんど出なくなっていたように記憶します。
背中や腰の痛みがなくなると、相変わらず認知症なのか天然ボケなのか分からないトンチンカンなナカコ節も復活し、ほんとに安堵しました。

7月3日には、幼少のころずっと一緒だった4人の幼なじみが、遠くからお見舞いにきてくれました。
「あっ!」
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うれしさのあまり半泣きになっているおナカさんの目の前に、4人のお友だちが次々と現れます。
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他にも時間を作って足を運んでくださった方々、何度も会いに来てくださった方、多くの励ましをいただきました。
お陰でこんな元気に。

「オカーサン、なんかポーズ作って!」
「よーっ!」  …ダチョウクラブか???(^_^;)
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7月10日には、
「天ぷら蕎麦が食べたい」
というので、近くの手打ちそば屋でテイクアウトをお願いし、病室まで走って持っていきました。
手指の動きが悪くなっており、箸はにぎり箸。ソバを口に入れますが、口の端からソバがぶら下がっているような、とても見られた姿じゃありませんでしたが、それでも食べられるようになったことに誰もが大喜びでした。
その時、ソバを3分の2ほど平らげ、小さなカボチャの天ぷらを食べ、
「あ~、おいしいっ! ずーっとソバが食べたい、ソバが食べたいっと思ってたんだぁ!」
「持つべきものは娘だね」
「うんっ♪」
入院して6週間、日に日に良くなっていくようで、毎日見舞いに通った甲斐があったと喜びを感じていました。

ところが、その夜。
下血があり、マットに染みるほどベッドが真っ赤に染まったのだと告げられました。
一気に奈落の底に突き落とされた気分です。
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ちょうど日曜日で、1時からの面会時間に合わせて行った時でした。
病室の前まで行くと、なにやら慌ただしく看護師さんたちが動き回っています。 そして、看護師さんの一人が
「これから個室に移動します」
「え? どうしたんですか?」
「先生からお話があると思います」
えぇーーーーっ!  ぞっとする怖さを感じながら、おナカさんのところに行くと、
「菌が増えたんだってぇ・・・」
私に助けを求めるような目で、泣き出さんばかり。
とっさに、大丈夫! 大丈夫だから! 私も一緒にいるから! ちゃんと先生に聞くから大丈夫だよ!
そう言いながら個室に運ばれるおナカさんに付き添い、その後、担当医が出張中とのことで代わりの先生が説明にやってきました。

昨夜の下血は、腸が破れたものなのかどうか調べること。
もし腸が破れていたら、輸血してもしょうがないので輸血をしないこと。
今は血圧が正常だけど、もし下がった場合、心臓にも影響があること。・・・・・・・止まるかもしれないこと。

何も考えられず、とにかく今夜おナカさんに付き添うため、一度家に帰って出直してくることにしました。

お母さんが死ぬ?


実感が湧かないのに後から後から涙が流れ落ちてきます。
どうしたらいいのだろう・・・頭の中で考えが何も浮かばず、ただひたすら
「絶対に死んだらいやだ! 絶対に死なせない!」
天の神さまに挑戦状を叩きつけるような、憤りと執念が地の底から湧き上がってくるようでした。


なるべくクックと一緒にいるようにしていた私は、この時もクックを車に乗せていました。
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この時の別名「エリザベス・クック」。首に付けている水色のものはエリザベスカラーと呼ばれるもので、治療中の箇所を噛んだり引っ掻いたりしないために付けます。
クックもストレスを感じていたのでしょうか。 次々と皮膚にトラブルを抱え、一番ひどかったのはコレです。
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血だらけになっている姿を見た時には、母の危篤を知らされたと同じくらい動揺しました。

とにかく、母下血の夜、クックは車で一晩明かすことになります。
私はおナカさんに付き添いながら、夜中に2度ほどクックのようすを見に駐車場へ。
伏せて寝ているクックの姿にホッとしながら、再びおナカさんの傍らで祈る長い夜を過ごしました。

それから丸2日間昏睡状態のまま、時間だけが虚しく過ぎて行きました……


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by anrianan | 2016-11-24 06:51 | ■とりあえず日記 | Comments(2)
おナカさん、入院する
5月2日まで、クックと朝晩の散歩をして、週に2回は(社交)ダンス教室に通って、邪魔なくらい動き回って、片づけ魔で私の大切な物をいろいろ失くしていたおナカさんが、5月3日の朝、突然身体の不調と腰痛を訴えました。

(※下の写真は4月7日、桜の下で)
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前回の「散骨葬」で述べた通り、ぷかり埠頭の待合室で嘔吐した母は乗船できず、食事会にももちろん参加できず、両脇から抱きかかえられるようにして車に戻りました。座っていることも辛そうで、家に到着して車から降りるときにも嘔吐。
声がよく出て、よく歩いて、よく食べてよくしゃべっていたおナカさんのこんな姿を見るのは初めてでした。

知人のお医者さんに相談し、夜になって救急医療センターへ連れて行きました。
X線を撮り、点滴を2時間くらいかけてゆっくり行い、帰宅は午前零時。特に異常なしとのことでした。
真夜中によこすか海岸通りを走りながら、隣に座っているおナカさんを見ると、ちんまりと一回り小さくなったように感じました。

翌5月4日、再び高熱が出たので、もう一度救急医療センターへ。
しかし行う処置は、昨日と同じ点滴のみ。
最近、腸からの風邪が流行っているので、とのことでした。けれど、何もないのに高熱が出るというのは気になるなぁ・・・との医師のつぶやきに私も大きくうなづきました。
「共済病院へ紹介状を書きましょうか?」
と聞かれたので、
「共済病院へは肝臓の方で掛かっているので行ってみます」
と答えて帰ってきました。

5月5日の朝になると37℃台に下がりますが、昼ごろ再び39℃近くに。
ゴールデンウィークですし、共済病院の救急外来にどう手続きをしたらいいのか分からず、電話をしてみますが留守電。
すると、ちょうど遊びに来ていた友人が、共済の救急外来窓口に行ってみると言ってくれます。

40分ほど後、その友人から電話が来ました。
「電話をして留守電になっているけど、ずっとそのままでいるとつながるらしいから。すぐに電話してみて」
なんてことだ、留守電になっていたら誰だって通じないと切ってしまうじゃないか!

さてそれから、電話をかけて救急外来窓口に来るように言われたので、母を車に乗せて行きました。
歩くのも辛そうになっていたので、車を降りると移動はすべて車椅子。
ピンクのロングガウンに包まれた母は疲れたようでしたが、採血、レントゲン、そして尿検査のときは自分の足でトイレで用を足すことができました。
結果は、特に入院するような緊急性はありません、とのこと。
たまたまその時は熱が下がっており、おナカさんはニコニコしながらお医者さんと何やらふにゃふにゃおしゃべりをしていたので、私も安心しました。
ところが、翌日また高熱。
そんな状態が、6日から11日まで繰り返されました。

(※5月10日)
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でもあれだけ検査してもらって内科では特に異常がないというのだから、あとは腰痛の方か・・・・・
と思った私は、整形外科に母を連れて行くことにしました。11日のことです。
人から聞いたりネットで調べて、家から割合近くにある●島整形外科へ行きましたが、ここは非常に混んでいます。
評判がいいから仕方ないと思うのですが、車椅子に乗せて待合室で待っているおナカさんを見ると、とても辛そうでした。

ようやく順番が来て、お決まりの採血、レントゲンなどを行い、ついでに骨密度も調べて見ましょう、などと言われて調べて見れば、若い人の51%ほどで骨がスカスカだといいます。
「骨密度の薬と痛み止めをあげますからね、あとはリハビリに通ってがんばりましょう」
と医者に優しく言われ、おナカさんも、はい、がんばります! などと久しぶりに元気が出ていました。
「ああ、今日はホントーに来てよかったぁ~。 リハビリがんばるから。い~ま、見ててごらん!」
ああ、よかった。 ここなら、いずれおナカさん一人でも車でリハビリに通うことができそうです。

その後も微熱はありましたが、本人はたまに起きて、日常生活を営むことはできました。
(※5月13日 ちょっとやつれたようではありますが)
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状況が急変したのは、10日後の5月21日でした。

その日は弟と友人が訪れることになっていました。
その前に、採血の結果が出たというので受診して聞いておいた方がよいと思い、私は朝7時半に家を飛び出し、母の診察券を出しに。
医院につくと、すでに7人の人が並んでいるじゃないかぁ!

8時15分から診察券を受け付け、9時におナカさんを連れて再び●島整形外科へ行くだけです。
ところが、おナカさんはベッドから起き上がることができません。
両足の付け根をさすりながら、腰も背中も触るだけで
「痛い! 痛い!」
時間が迫っている私は焦って、叱りながら
「どうするのっ! 行かないのっ?!」
「行くよ・・・・ 痛いっ! ・・・・・・そんな言い方しなくたって・・・自分で起きるよ、待ってな・・・」
「早く起きて! 間に合わなくなる!」

今から思えば、本当に可愛そうなことをしました。
全身激痛だったろうと知るのは、もっとずっと後になってからのことです。

車に乗せて行きましたが、突然、母のろれつが回らなくなっていることに気づきます。
そして目の視点も定まらないようでボーっとしています。
どーしちゃったんだろう・・・・・。
何やら得体の知れない不安に襲われ、とんでもないことが起こっているような気がしました。

医者の診断によると、腰の痛みは長く寝ていたことによる圧迫骨折。 とはいっても、レントゲンでは骨が折れているようには見えませんでした。背骨の間が狭くなっていたり、くっついていたりすることは分かりました。
また、脳神経外科に行くことも勧められましたが、一番驚いたことは、
「これは内臓がボロボロだな、これじゃ薬はあげられません。内臓に影響が大きすぎますから・・・」

ジョーダンじゃないよ! 
採血したのは10日前だよ?! その10日前の採血結果を見ながら、内臓がぼろぼろだから薬は服用できませんだって? じゃ、薬を飲んでいたこの10日間はどうなるのさっ!
採血したらすぐに結果を出して、薬を処方するんじゃないの?!


おナカさんは帰りの車の中、う~う~とうめきっぱなしでした。
「オカーサン、ずっと唸っているね」
と言うと、
「痛くて唸らずにはいられない・・・・」
「そんなに痛いの?」
私はまだしっかりと事の重大さを認識していませんでした・・・・・・

おナカさんがこんな状態でしたが、午後から予定通り、弟と友人と三人でバーベキューをやることに。
弟が母に食べさせる肉を買ってきたということもあって決行したのですが、おナカさんは外のテラスに出ないというので窓際の椅子に座ることに。

ふとおナカさんを見ると、顔をテーブルに伏せています。 弟が、
「あれ? 漏らしてるんじゃないの?」
え? と思って母の足下をみると、廊下が濡れています。
途端、何か大変な事態が起きていることを感じながら雑巾で拭き取り、下着とズボンを替えさせるのですが、その間中おナカさんは、
「大丈夫・・・・・・大丈夫・・・・・・」
と、うわ言のように言い続け、私は訳も分からず涙が止まらなくなりました。
とっさにクック! クック! と呼ぶと、クックが母のベッドに飛び乗って、母の顔を覗き込んでいました。

「救急車を呼ぶよ?」
と言うと、大丈夫大丈夫と繰り返しましたが、
「オカーサンが死んだら、私とクックは生きていけないよっ!」
泣きながら叫ぶと、おナカさんは閉じていた目を開いて私をジッと見つめ、首をコクンと縦に振りました。

それからのことは、今となっては夢の中のことのようです。
弟が救急車を誘導するため道路に出てゆき、私は急いで万一の入院に備えて母のパジャマや財布などを大きなバックに入れて一緒に救急車に乗り込みました。閉まる扉の向こうに、友人にリードを引かれたクックが、凝然と立ち尽くすようにこちらを見ている姿が今でも目に焼きついています。

4時半ごろ救急車で運ばれ、夜10時半ごろ検査が終わって呼ばれました。
「今日は入院です。 どーしてこうなっちゃったんですか?」
どーしてって、こっちが聞きたいわ! と内心私は驚きとともに腹が立っていました。
仕事に行っている間、クックをどうしたらいいんだろう・・・・・・どのくらい入院するんだろう・・・・・・どのくらい悪いんだろう・・・・・・
とめどなくさまざまな不安と心配が頭を駆け巡り、同時にしょーがないという諦めもあり、ガラガラとストレッチャーで運ばれていくおナカさんに
「入院だって」
と告げると、えーっ! きょとんとした顔で私を見ていました。

とにかくどうにもならない疲労感でいっぱいの私は、病棟で書き込む書類にもげっそりしてしまい、
「もう今日は書けないので、明日でいいですか?」
とつっけんどんに尋ねると、浅田真央ちゃんがあられちゃん風メガネをかけたようなかわいい看護師さんは、
「あ、じゃ、ちょっとここだけ書いてもらってもいいですか?」
なんともさり気なく、必要な手続きだけは淡々と進めようと試みる姿勢に、なんだろう・・・プロフェッショナルというか、優しさというか、彼女の人間力を感じ、ふと私の気も緩みました。 悪かったな・・・・・・

心がちょっと落ち着ついてすべてを書き込み終わると、彼女に母の今日に至った経過を簡単に話しておきたくなりました。
「毎朝毎晩犬の散歩をして、社交ダンスにも週2回通って元気だった母が、なぜこんなことになったのか・・・」
と漏らしたとたん、涙もこぼれてきました。
彼女の優しい瞳を見つめながら、母を託してみよう・・・・・・と思ったのです。

5月21日午後11時半に救急外来の出口から出て、私の長い長い一日が終わりました。
でもある意味で、長い長い闘いの始まりでもありました・・・・・・
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by anrianan | 2016-11-21 17:57 | Comments(2)
散骨葬
今年の5月3日に執り行われた「散骨葬」のお話をしておきたいと思います。

父が亡くなったのは平成14年10月7日です。
それから早2年、遺骨を海に撒いてくれとの父の遺言に従いました。

なに、49日を過ぎても遺骨を置いておいたの?  
そうです、遺影の傍らに置いておきました。
ええ、気持ち悪くなかったですよ、父の骨ですから。

いろいろ手続きで疲れてしまった私は、今年の10月7日に行えばいいかなと思っていました。
ところが、4月に入っておナカさんが盛んに私をせっついたのです。
「やっぱり、お父さんの誕生日に(散骨葬を)しようよ」
と。 もう、うるさいなぁ……。

急遽、業者を調べ始めて何社かに問い合わせました。
そして、父が船乗りになりたかったこと、横浜で生まれ育ったことなどから、横浜のぷかり桟橋から出港する船にしました。下船後は、インターコンチネンタルホテルに入っているレストランで食事会、というコースです。お土産にパウンドケーキを焼いて、父の人生を写真と文章で綴ったパンフレットを作成して、参加者に持ち帰っていただきました。

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値段はピンキリです。
40万かかるというところもあれば、15万というところもある。
参加人数によって船の大きさも異なるので、それによって値段も変わります。

選択基準としては、値段が安く良心的そうな業者さん。
何を基準に選んだらよいのか分かりませんでしたけど、結局……勘でした。
結果、大正解でしたよ。(ここ→ 墓地ナビ

4月25日月曜日、2人の男性が家まで来て、厳かな雰囲気の中、丁寧に父の骨を粉砕してくれました。
オプション費用として5000円かかりますが、これは出張してきてくれることや手間暇を考えると、とても安く感じました。
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右側の若い青年は見習いで、今回初の粉骨作業とのこと。
額に汗しながら、まさに粉骨砕身。
懸命に作業する姿は純粋そのもの。彼らの姿を見ていて、父もきっと満足してくれているだろうと胸が熱くなりました。

火葬後骨ツボに入れる際、骨の量が多いので5-6回ほど潰されながらやっと入った父の骨。
粉砕する彼らにとっても、通常よりも重労働だったようです。(※下の写真は粉骨前です)
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機械で粉砕すると、ほんとに細かい粉になるのだそうです。
けれど手作業の場合、
「少々粗くなります」
と言われて覗けば、なるほど……、父が挽いていたそば粉のようだ。
父そのものじゃないか……

そして当日。
下の写真は船の中です。両親と一緒に暮らしてきたクックも乗船させてくれました。
ぷかり桟橋を歩く時と下乗船の際は、私が抱っこしていくことが条件でしたけど。
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写真では、私一人が粉骨を海に撒いているように見えますが、弟と二人で同時に流しました。
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その後、持参した花を海に流します。
前日、おナカさんと二人でわざわざ金沢文庫の花屋さんまで行き、選んできた花々です。
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そして、小さな鐘がテーブルに置かれ、一人一回ずつカーン! と鳴らして合掌します。
一通りの行程が済むと、もう一度、船は骨を沈めた場所をぐるりと旋回してくれました。
最後に、散骨をした緯度と経度が書かれた証明書をいただきます。

「本当はもっと沖に出て行きたかったんですけど……」
その日はなかなかの強風で出港できるかと心配していました。
「大丈夫です、父なら簡単に自力で出て行けますから」
そう言って父の人生を思い返し、船が湾内をぐるりと回って港に帰ってくる間、涙がとめどなく流れ落ちて止めることができませんでした。

独学と中国語学校に通いながらコツコツと勉強を続け、退職後は西安への留学を果たし、通訳の資格まで取得した父。 
毎朝、太極拳をやっていた父。
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野菜作りを続けながら、広大な土地での農業を諦めきれず、岩手に8000坪の土地を買ってしまった父。
毎年雪が降ると、得意げにブルドーザーを操作していた父。
怖かった父、厳しかった父、頼りになった父。
 
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今でもじっくり思い出すと涙が止まらなくなるので、なるべく思い出さないようにしています。

そんな父が、今でもおナカさんの前にはちょこちょこ現れるらしいのです。
そして、
「オレは、おまえを本当~に好きだったんだ」
と死んでから告白したらしいのです。

ほんとかねぇ……

おナカさんの夢の話にしろ幻想にしろ、笑っちゃうけどちょっといい話に思えます。
そのおナカさん、
実はこの日、起きた時から気持ちが悪い、腰が痛いと訴え、船の待合室にいる間に嘔吐。
結局、船に乗れずに帰ってきました。 そして、家でも再び嘔吐。

そうです、この夜から想像もしなかった日々が始まったのです……


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by anrianan | 2016-11-17 11:17 | ■とりあえず日記 | Comments(3)
465日
以前このブログを愛読してくださっていた皆さま、お久しぶりです。

2015年08月10日(10:56更新)から、なんと1年3カ月と5日が経ちました。
なぜに更新を怠っていたのか……

それは、更新がめんどーくさくなってしまったからというよりも、舞い戻ってきたおナカさんと格闘の日々が続いたからなのでありました。

いえいえ、格闘ったって別に相撲のようにガッツリ取り組んだわけではありませんのよ。
引っ越し荷物でごった返した部屋を、ブルトーザーナカコがせっせせっせと片づけ、
「とりあえずココに置いておこう」
と思って置いた私の大切な宝の数々が、ことごとく行方不明になっていったのです。

私としても15年間独り暮らしを続けてきた中で少しずつ自分のライフスタイルを完成させ、おナカさんの出戻りが決まるとともに苦手な断捨離を進め、
「これは残したいっ!」
というものだけを捨てずにおいた、それはそれは思い入れのある物ばかりなのです。

例えば、
クックがモデルになって掲載された新聞とか、

  私の描いたイラストが掲載された新聞とか、

     毎年咲いた百合や四つ葉のクローバーの球根とか、

        20年くらい前にアメリカの友人からもらったクマのゆいぐるみとか、

           結核が治ってから初めていった鎌倉で買った白ウサギのぬいぐるみとか、


まだまだ思い出せば出てくる遺失物の数々ですが、これが「あった場所にない!」と気づいた時には、時すでに遅し。
母の記憶からも消えておるのですわ。


物はどんどん捨てろ、が主流の近年ではありますけどね、
私はその「物」を見るたびに、その時の情景やら心情やらを思い出すから、なかなか捨てられないのですよ。

だもんで、
「オカーサンが来る前は、平和だったっ!」
なんて、本当は言いたくなかった言葉をむりやり吐き出すように投げつけたこともあったりして・・・。  すると、
「お母さんも出て行くところを考えるから!」
と返して、その後何日かお互いに口を利かず、心ふさぐような日々を送ったことを覚えています。

でも何日かすると、なんとなくお互いに歩み寄ってまた話をするようになるのですが、私の記憶するところでは2月にまたぞろ母と大げんかをしましてね。
「ほんとにごめんねっ、お母さん、死んでお詫びをする!」
なんて言うのですよ。 なによ、それ……
「そんな気持ち悪いこと、言わないでよっ! これでオカーサンが死んだら、私は罪悪感がずっと残るでしょっ!」
体の毛穴が開くような恐怖と気味悪さを感じて、猛烈に怒りながら言い返しました。


なんでしょう……

よく虫の予感といいますけど、人間ってやっぱり何かを予知するのでしょうか……
そういう出来事が起こりました。

それも今年(平成28年)5月3日、父の散骨葬の日です。



続きは長くなるので、次の更新に書くことにします。
なにしろ1年3カ月と5日ぶりの更新ですから。 

日数にすると465日。(注:計算違いしてるかも)
これが長いのか短いのか。

もう3年くらい経ったように感じる今日このごろです・・・・・・



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by anrianan | 2016-11-15 05:28 | ■とりあえず日記 | Comments(4)