<   2006年 04月 ( 17 )   > この月の画像一覧
春の草取り祭り・・・・?
さて、今日で一年の三分の一が終ったことになります。


昨日は、草取りお助け人である横浜の叔父夫婦が来てくれて、
最近日増しに成長著しい庭の草を抜いてくれました。
昼過ぎに雨が降り出して、東側の庭が未完のまま終了してしまいましたが、
叔母独りで南側の庭を、叔父がフェンスを越えた山の雑草を刈ってくれました。
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あちこちに抜かれた草の山が出来ていて、これをいずれ「焚き火」に使うか、もしくは腐葉土を作るか、頭の片隅で思考中です。


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叔父が刈ってくれたフェンスの向こうを見まわすと、見事に草が無くなっていました!

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ついでに、“明日葉”もバッサリ無くなっていて 「ヒェ~!」と思いましたが、生命力の強い明日葉ですから、また出てきてくれると思います。

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これだけ綺麗になると歩きやすいし・・・、
と言っても、明日葉が無くなったので当分歩くことは無いと思うのですが、柑橘系が好きという人間にはたまらない“スッパイ夏みかん”が、ここにはあります。

d0046294_9244997.jpgこれも桜同様、越して来た時に父が植えたものです。
友達のヒロがこの夏みかんを大好きで、ずっと前にゆみと二人でウチに来た時、独りで夏みかん狩りして、その場で食べていました。

そんなことを昼間思い出していたら、私が寝ついた夜遅く、なんとヒロから電話!

           うわぁ~! 久しぶりだねぇ~!

私は半分夢の中で、しばしの会話を楽しみました。




あまり手をかけず、自然のままに、花や木があるナチュラル・ガーデンがいい!
と思っていますが、やはり最低限の草取りをしないと芝や竹がどんどん出て来るので、
自然を楽しむための「ひと手間」は、やはり必要なのですね。


助っ人の叔父夫婦は20歳で結婚し、二人の子どもは独立しています。
叔父は何度も失敗しながら、現在なんとか叔母と二人で会社を営んでいますので、
いろいろと話が合ってオモシロイのです。

通常は、この草取り後にお寿司とビールで慰労会なのですが、
本日は久しぶりに、「カルフォルニア・ロール」や「蒸し鳥のきのこソースかけ」など
私の手料理にてのおもてなしとなり、やはりビールを飲みながら、
世の中を多いに語り合って終了となりました。

GWは、会社員でない私にはあまり関係ないどころか、
〈バイトが無い=収入にならない〉ので、あまり喜ばしいものではありませんが、
連日家のことをあれこれやれるので、いっときの専業主婦のようなものでしょうか。
これはこれで楽しいものですね。
by anrianan | 2006-04-30 10:00 | ■とりあえず日記
基本は親子の関係から・・・・
= 4月26日付東京新聞 =
精神科医・斎藤学 (さいとうさとる)さんの「本音のコラム」から


『根拠なき罪悪感』と題して

・・・(略)・・・・・・
人は根拠もなしに罪悪感を抱き、その大きさに見合った罪悪をやってのけるのだ。
あるのはまず「感」、ついで「行動」なのであってその逆ではない。
・・・(略)・・・・・・
人は自分に課された役割なるものを勝手に読みとろうとする。
ここから「根拠のない罪悪感」が生まれる。
子どもたちは親の期待を読みとり、その「読みとり」が勝手であることを理解しようとしない。 そして「親の期待」という幻想が生み出した罪悪感に苛まれる。
そして「親の期待が重すぎた」と恨む。

この際ハッキリ言おう。
たいていの親(異常者という例外はある)は子に期待などしていない。
せいぜい元気でいて欲しいと思うくらいだ。
何を間違えたか、自意識過剰な子どもが「普通」であってはならないと勘違いし、
普通であるくらいなら狂気でいよう、犯罪者でいようと考える。バカだ。





最近は低年齢の犯罪が増えている。
その問題点を解明しようとするコラムなのだと思う。

私はすべてを親のせいにするつもりはないが、やはり子どもは親の「期待」を読み取ると思う。親に喜んでもらいたい、という形を変えた子どもなりの親孝行だ。
ポイントは「親」が大人になりきれていないことや、親も未完成な人間であるということ。

現代の「物」や「名声」を得た者が勝組みで幸せ者という、親の無意識が子どもに伝わっているだけだと思う。
しかし、お金や物をたくさん手に入れたところで、どこか満たされない。 愛情が欲しい。
だから親も子も愛情をむさぼり合おうと四苦八苦する。

愛を知らない人間が、人に愛を教えることなんて出来るわけないじゃないか。


私も、時には「愛欠乏症」に陥る。
小学6年生の時に、母親に叱られて、「私なんて、この家に必要ないでしょ!」
と勇気を振り絞るように言った記憶がある。 台所で後姿のまま、母は愕然としたらしい。
そうやって、親も子も互いに学び合っていくのかもしれない。

だけど、その勝手な思い込みかもしれない子ども側の問題を解決するのに、
私は10年以上の年月を要した。

結局、自分で解決していくしかないのだけれど、その過程でさまざまなことが起こり、
人との出会いがあり、時に恋愛もあり、その時その時の悩みや問題を解決していく。
だから導き手との出会いは大きい、と今だからこそ思うこと。


低年齢の性犯罪が世間に衝撃を与えているが、あれは「大人たちの心の鏡」だ。
命の尊さや愛というものを教えられず、性行為を罪悪視する心の裏側を見つめられない
大人たちへの警告と思える。

やたら長寿になり、人口が増え、しかし出産率が低下し、大人が幼稚化している日本は
これから一体どうなっていくのだろう?


   ・・・・・・私には何ができるのだろう?
by anrianan | 2006-04-27 08:46 | ■一言いわせて!
別に天気の話をしたいわけじゃないけれど・・・・
昨日は、めまぐるしく天気が変わった。

d0046294_21541545.gif11時ちょっと前、私はバイトに行くために家を出た。
暖かくて気持ちが良いので、駅まで歩くには絶好だった。
以前は約2kmの駅まで25分かかっていたが、最近は20分で着く。
健脚になった。

12時20分品川に到着。
なにやら構内の照明が薄暗い。 一部電灯が切れているのかしら? 違った。
空の色が黄色みかかったグレーのなんとも言えない奇妙な色合いだ。

雨が降っているではないか! え~! 雨なんて言っていたっけぇ~!
駅から職場まで5分ほどだが、屋根が無い道を歩く。d0046294_21544833.gif
一瞬立ち止まって、その5分を走るか、傘を買うか考える。
その側で雷が鳴り出した!
                  ひぇ~!

間をおかずに、スコールのように雨粒がバラバラと落ちて来る。
  これじゃ、ずぶ濡れだよ。 傘を買いなさい、ってことじゃん・・・・・・。
意を決して、駅前の成城石井(ここは、私のお気に入り♪)に入って、傘を買う。
ついでにチョコレートも買う。   )*^.^*( ホホホホ・・・・・

まるで『モーゼの十戒』のような天からビー玉のような雨粒。
たった5分の道なのに、風と共に去りぬ・・・・いやいや、風と共に雷が、
鳴るのはいいんだけど、光るのがコワイのよねぇ~。

『陰陽師』では、菅原道真が雷となってやって来る。
  道真さんかい、邪気祓いをご苦労さん! と心の中で言ってあげる。
すると、なんだか怖がっている自分の状況がコメディーチックに感じられて可笑しくなる。

そして、1時にはもう晴れているんだからねぇ・・・・・。

4時半頃、例のコーヒーを買いに行くと、ぽかぽか~さやさや~で、気っ持ちいい♪

で、7時に仕事を終えて外に出ると、なんと、薄ら寒いじゃないのっ!
せっかく春の装い (と言っても、少々薄着というだけだが) の私は、
騙まし討ちにあった気分。

サンフランシスコやロスアンゼルスに居た時に、
友達は半そでT-シャツの上に厚手のジャンパーを着ていた。
昼間は暑いし朝晩は寒いから、当然そういう装いになってくるのだけど、
なんだか日本の気候までアメリカかぶれかい? 

     なんだか、変だよねぇ・・・・・・。
by anrianan | 2006-04-26 06:18 | ■とりあえず日記
ここはハワイ? という感じ~♪
初夏を感じる今頃になって、盛んにうぐいすの「ホーホケキョ!」が聞こえる。


日々、日の出が少しずつ早くなり、早朝の空気もほんわりしてきた。
空が白みかけて鳥の声がする頃、私はゴミを出しに行くようにしている。
ということは、ゴミを出しに行く時間も早くなる。

今頃の気持ち良い気温になると、サンフランシスコやハワイを思い出す。
なぜだろう? と考えながらゴミを捨てる。

会社を辞めて、すぐに行った場所が「サンディ・エゴ~サンフランシスコ」。
そこで、2年弱の時を過ごした。
昼間オフィスに篭もりっきりの生活から、外の空気を吸うようになったからだろうか、
私の体も心も毛穴からも呼吸しているように感じた。


確信のように感じているのは、人間には「自然」が大きく影響しているということ。
木や花や空気、空、雲、風、日の光といった「当たり前」の存在が、
私たちの体の細胞さえも変えているということ。
細胞が変われば、血液も変わり、思考も性格も変わっていく。


私が今、この雨漏りするボロい家から引っ越すことが出来ない理由も、
お金云々よりも、周囲に植えられている木や植物と離れたくないから。
「木」は「気」と言われ、木が無くなった国は滅びると聞いた。


サンフランシスコで感じた、今でも忘れられない一瞬の思いがある。d0046294_7133816.jpg

「マリン・カウンティ」と呼ばれるゴールデンゲートブリッジを渡った向こう側。
さらに自然に溢れ、のんびりとした空気が街に流れ、人々の生活が豊かに見えた。
金銭的な豊かさではない。
大きな木が庭にあったり、焼いたパンを庭で頂いたり、豊かな時の流れだ。

地元の人は、「ベイエリアは物価が高いし、働く場所だ」と言っていた。
通勤ラッシュ時は、ゴールデンゲートブリッジが渋滞らしい・・・・・・。

それはさておき、
それまで私は、一度も「結婚をしたい」と思ったことが無かった。
「結婚なんかして、バッカじゃないの」とさえ思っていた。
それが、その大きな木を見ている時に、「ああ、こういうところで結婚したい」。
その風景の中で、「平凡だけど幸せな日常」が想像できたのだ。

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アメリカは物価も安いし、家も家賃一ヶ月分で借りられる。
食べる為に働く日本と根本的に違うのは、「生活を楽しめる」こと。
フリーウェイも無料で高速代は掛からないから、週末はお弁当を持って、キャンプやロッククライミングなどに出かける。

日本はリフレッシュするためにちょっと外出すると、交通費始めすべてにお金。
だったら家にじっとしていた方が良いと思ってしまう。
だから、出かけなくても自然に囲まれた環境はありがたい。

いつになったら、日本人も欧米人のように「生活を楽しむ」ようになれるのだろう。
まだまだ100年、200年かかるのかな・・・・。
長くゆっくり時間をかけなければ、何事も熟成されないのかもしれない。

このインスタントの消費国で、私なりのライフ・スタイルを明確にしなければ、
このまま押し流されて人生が終ってしまいそうな気がする。
そんなもったいないことはしたくないから、そうだな・・・・・・、
まずは「燻製小屋」と「小さな菜園」でも作る目標を立ててみるかな♪
by anrianan | 2006-04-25 07:17 | ■海外メモリー
私はどこに来たのかいな?!
月1回の『スピリチュアル講座』は、10時半開場である。
9時に現地に到着すると、すでに列が出来ている・・・・・・。


近年江原啓之さんのTV出演が多くなり、美輪さんとの『オーラの泉』も高視聴率で、
今年になって講座に来る顔ぶれも、従来とガラリと変わっている。
ほんとに「霊的な真理」を学びたいのか、江原さんを見に来ているのか、
判断つきかねるようなミー子ハー子も怒涛のごとくやって来る。


見えない霊的真理が認知され、多くの人が「死後(=生前)」について理解していくことは良いと思うが、同時にこの現実の世界でのマナーを考えようよ! といいたくなることを多々目にする。

昨日は、3件続けてそういうことに遭遇した。

私の3人前に並んでいた60前後と思われるオバチャン。
(近頃、オバチャンの無礼講にはハタハタ呆れているが)
化粧をバッチリして、高そうなコートを着て、怖そうな顔相をしていた。
私の後ろにも5-6名並んでいたが、その後から来た友達と思われる人を
「あらっ!」と手招きし、すぐ後の男性に「ちょっと、すみません」と軽く声をかけると、
当然のごとく割り込ませた。
白髪混じりのオバチャン二人の後姿を見ながら、私は唖然とした。


1時間くらいすると、私のすぐ前のやはり60前後のオバチャンだ。
今度はすぐ後の私に「すみません」の一言も無い。
もっとも、「すみません」と言うのなら割り込ませなければ良いのだし、
謝るのなら、後に並んでいる人全員に謝れ、といいたいが。


私も3-4年出席しているけれど、「自分の席は自分で」が暗黙の了解だった。
後から来た友達と一緒に座りたい時は、前に並んでいた人が後ろに下がった。
そういう、私から見たら「フツー」の人ばかりだった。
それが・・・・・・!

  オイ、オイ、孫もいるようなオバチャンが、二人続けてどーなってるの?!

私は腹が立つより呆れて、内心憮然としながら入場した。



扉を入ると、自然みんなの足が速まる。
「走らないで下さい」と注意を受けているので、競歩になる。(笑)
私がかばんを椅子に置こうとした瞬間、
コートと紙袋を投げるようにして2つの席を取った女性が居た。
思わぬ出来事に、顔を見ると30代と思われる女性。

「席のお取り置きはしないように言われていますが」
私は怒りを抑えて、低い声で毅然と言った。

「えっ、私が座るので・・・・」
「お一人で二つの席に座るのですか?」と慇懃かつ丁寧に尋ねる私。
「・・・・・・・。」憮然として無視する女。

そこに、その女性の友達が遠くから現れ、
「あ、XXちゃ~ん! ここ、いいよぉ。」
「え~、いいのぉ♪」

さすがに、その女性は私の隣には座れず、友達を間に挟んで座る形となった。
後から来たその女性は、ずっと後ろに並んでいたのを私は見ている。


  ほんとにつまらないことである。
  子供っぽいし、どーでもいいことじゃん、と言いたくなることである。

しかしねぇ、こういう輩が『スピリチュアル講座』なんかに来て、何を学ぶんだい?
まず、人の礼儀とか、世の中のマナーとか、「当たり前のこと」を見直せよ!


実年齢には関係無く、本当に「日本全国幼稚化現象」である。
子供の躾というけれど、その子供をしつける親をしつけなければダメなのだ。
そして、その親を育てた「ジイチャン、バアチャン」世代が、またとんでもないのが多い。

こういうことを言う私は生意気か?!
そうだよ、確かに生意気だよ。
だけどね、ワタシャ、20代の頃から自覚してたよ。

 私が子供を産んだら、私のような子が生まれてくる。
 怖くて産めない・・・・・・。

そりゃ、そうだよね。
子供は卵子と精子が受精すれば出来ちゃうんだから。
親が立派だろうが、バカだろうが、生まれちゃうんだから。

親が気づいていないことを、子供は鏡となって親に見せるわけだね。
だから「親と子がともに成長していく」と言うのは理解できる。
だけど、人間界のマナーは先輩の親がまずは教えなきゃならんでしょ。
そして、教えられない親が多いから、非常識な人間が蔓延してるよね。
すると、「常識者」が「非常識者」扱いされることも出てくるわけだ。


江原さんも言っていたけど、
 あっち見ても、こっち見ても、この世は地獄。 あの世が天国。
 あ~、もう、いつあの世に帰ってもいい。 早く帰りたい!
 この世はヤダ、ヤダ、ヤダ!

すっかり「語り」をマスターした江原さんの口調は、可笑しくて笑っちゃうのだけれど、
「賛成! ブラボー!」と、私は拍手をしたいくらいだった。
私と同じ気持ちの人が居てくれて嬉しい! それが江原さんだなんて、チョ~嬉しい!


こういう、ますます混沌として来る地獄界で、
これから私はどうやって生きていけば良いのか?


 「毎日を散漫と生きている人が多いですねぇ・・・・・、
  長く講座に来てる方たち、ガンバッテ日常を実践してくださいよ」。

                    最後の江原さんのコメントに耳が痛かった。





  もう、バカなオバハンもオバハン予備軍もどーでもエエわ。
  私は自分のコレからの日々を生きるので精一杯だわよ・・・・・・。
by anrianan | 2006-04-24 04:53 | ■心・精神・魂
知的中年になるために・・・・
「時代小説」=オヤジくせいぇ! のイメージだったから、
オシャレなイメージを持つ私(?)が、
とてもこの分野に関わりを持つようになるとは思っていませんでした。

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しかし、“裏店”でひっかかった・・・・。
  あのねぇ、「裏店」「うらだな」と読むなんて知ってた?
  ほぇ~! 知ってたの?! そりゃ、立派な「知的オヤジ」だわ!(笑)

ほらね、
こうやって漢字も覚えるし、つい2‐300年前の日本の生活や伝統文化も学べるわけよ。
知的な人間がハマらないわけが無いっしょ!



そのうちに、他の作家さんの時代小説の世界にも広がっていくと思うのですが、
今日の “おススメ図書” は、次の新刊2冊。

どっちもオモシロイのだけど、今月は続けて2冊出ちゃったからねぇ。
両方の読書感想文を書いていると、長くなり過ぎて読んで貰えなくなるから、
ちょいとしか書きませんけれど・・・・。

アマゾンのレビューを読んだら、d0046294_22255613.jpg
「このコメントが参考になりましたか?」に
必ず「はい」をクリックしておいてくださいね。 (^.^)b
(これで、あなたも幸運になります♪・・・?)

まだ書いたばかりなので掲載されてませんがね。

『糸切れ凧』(光文社文庫)のタイトルの由来が未だにナゾ。
主人公の荒金菊之助のことなのかしら?・・・
元御家人だけど、今「研ぎ師」の荒金さんは人間的に余裕があるのですね。
そして、ワタシャ、この荒金さんの従兄弟 秀蔵さんにときめくのですわ。架空の人物だなんてぇ! というくらいに。
なんざんしょ、この胸騒ぎは。

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『武者とゆく』(講談社文庫)の武者は犬です。
犬好きのあなたにはタマリマセン!
そしてこの話は、なんだか現代に通じる不気味な恐怖感が漂います。
でも結果は「コノヤロー!」と悔しくなるようなハッピーエンドです。
たそがれ年代の男性には励みになる(?)かもしれません。
今までの著者の作品とは、微妙に異なる色彩を放っているのが興味深いです。

コレ、あまり売れなかったら、ゼッタイ編集者がイケナイね。




江戸の古地図まで買ってしまった私。
そのうち、台所を土間にして釜で飯を炊きたくなってしまうね、きっと。


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by anrianan | 2006-04-21 22:46 | ■最近の一冊!
海老で鯛を釣りたいけれど・・・・
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「もしもし・・・・、XXでございます・・・・」 と母の声。

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と、親不孝の娘は母のために歌った。
もちろん、タンバリンは叩かなかったが。        


あははは・・・・・!
 やんなっちゃったよぉ~。 
                                          と、おナカちゃん。


何かプレゼントを贈る余裕が無いので、心を込めて歌った・・・訳ではないが、
正確には、“ごまかした” というところだろうか。

で、なんだかんだ話している内に、また食料を送ってくれることになった。


「だったん蕎麦」というのをご存知だろうか?
その「だったん」の粉で、まんじゅうを作ったのだという。
それを食べてみてほしいそうなのだ。 試食審査員というところだろうか。

私は、時にこの夫婦の「けんか調停員」になったり、
「死後のための教育係」だったり、いろいろと忙しいのだ。


「健康にいいし、おいしいんだよぉ!」
「それを冷凍で送るからっ!」 と母が嬉しそうに言うんだから、
喜んでいただくしかない。


こういうのを、「歌でまんじゅうを釣った」・・・・?
by anrianan | 2006-04-20 15:09 | ■とりあえず日記
人が死ぬということ・・・・・・
『古事記』の中で、
黄泉の国のイザナミノミコトは、「一日に1000人を絞め殺してしまいましょう」といい、
イザナギノミコトは、「それなら、一日に1500人を生まれさせよう」と答えた。

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それじゃあ人口が増加する一方だから、同じ人数にすれば良かったのに・・・。
という私のしょうもない意見はさておき、

人間の寿命は決められているという。 死に方がどうであろうとも、である。


宿命を「変えられないもの」、運命を「変えられるもの」、と江原啓之さんは言う。
私は非常に分かりやすいと思う。
ならば、「死ぬ時期」は宿命で、「死に方」というのは「運命」と言えるだろうか。

ただ、交通事故や病死などは、
「もしあの時、XXだったら・・・・」と悔やまれる場合もあるだろうけれど、
「その時」に死ぬことは決めて生まれてきていると言える。



神道では、「死」を「お国替え」と言う。
現世という「国」から、幽世の「国」へお帰りになったということか。

人生はよく「旅」に例えられるが、故郷に帰られたのだから「ご苦労さま!」なのである。
あちら側では、知り合いがみんな大喜びで出迎えると言う。

この世は「修行の場」だから、故郷に帰るまで障害物競走のように障害だらけ。
私は「生きているだけで一事業だ」と感じる。
あの世では、お金も仕事も病気も無いし、しかも「同じ(心の)階層」の人ばかりだから、
私などが帰ったら周囲には「優しくて、深い思いやり」をもつ人ばかりだ。(??!)


以前、「お葬式」について書いたことがあるが
あれは死んだ人に「死んだよ」と伝えてあげる儀式だから、大いに泣いて
「ありがとう! ご苦労さま!」と言ってあげるのが良いらしい。
肉体は死んでも、魂は生きているのだ。 自分が死んだことを知らない霊も居る。
そういう霊がさまよってしまうらしいのだ。
死んだばかりだと、まだ生前の気持ちのままオロオロと側に居ると思った方がいい。

しかし、
その後あまり泣いていると、死んだ人も呆れて困り果てているらしい。
泣いて後を追う幼稚園児の姿を、私は連想する。
最初は「可愛いんだから」と微笑ましく思っても、それがずっと続くと
「いい加減にしなさい!」。


最近は「安楽死」や「脳死」が話題になることが多い。
「脳死」とは、
幽体が肉体から剥がれ切れず、一部が繋がったままフワフワとしているとのこと。
幽体がスッと離れると「死」という状態になるが、繋がっているということは「死んでいない」ということになるのだろうね。 だからチューブを止めてしまう、治療を止めてしまう、というのは、「生」を切断することになるのだ。
しかし、この世では治療にはお金が必要であるし、それぞれに生活があるから、一概に「これが正しい」と私には判断できない・・・・。難しい問題だと思う。


ただ、こういう記事を目にしたり、親しい人の「死」に直面すると、
私の大切な人が死んだら・・・・と、置き換えて考えてみる。
頭で理解しても、感情が押さえきれないだろうし、悲しみに耐えられないだろう。

だけど、誰もがこの世を修行の場として、親を選び、環境を選んで生まれて来た。
日々の生活の中で生まれて来た課題に挑み、体験し、
出会いという運命を経て、無事に今世の旅を終えて帰って行った・・・・。
そのことを、何度も頭の中で繰り返して自分に言い聞かせるだろう、と思う。

「ありがとう」
「ご苦労さま」

やっぱり、この言葉が出てくるんだろうな・・・・・。

そして、「あとで(お国替えしたら)また会いましょう!」ということなのだろう・・・。
by anrianan | 2006-04-18 07:24 | ■心・精神・魂
やっぱり、こうでなくちゃ・・・・
もう、泣きました! 大泣きデス。
声を出せないから、余計に涙が止まらなくなるのです・・・・・。

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昨日初日だった美輪明宏さん主演 『愛の賛歌』 ~エディット・ピアフ物語でのことです。
舞台はパリで、実在した女性です。

軽業師の父と歌手の母の間に生まれ、異母姉妹を持つ彼女は6歳で失明します。
けれど、ルルドの泉で視力を取り戻すという体験を持つ敬虔なクリスチャンでもあります。
倒れた父親の変わりに10歳の彼女が歌い出し、そこから彼女の歌手人生が始まります。
結婚をし、出産をし、その子は病死、大きなお店のステージ歌手にスカウトされ、夢をつかみかけますが、ある事件から失い、絶望から這い出て二度目のチャンスを手に入れます。

d0046294_11135436.jpg恋多き彼女は、一途に無償の愛で男性を愛することが生きる力になっています。

最大の愛は、ボクシングのチャンピオン・マルセル=セルダンとのものでした。
彼は妻帯者で彼女との関係も公表しますが、エディットは彼の家庭を壊す気は全くなく、まさに「無償の愛」でつながれた大人の愛でした。
その彼を飛行機事故で失い、麻薬と酒に溺れ、生死の淵まで追い込まれます。


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                                                                                         ※写真はパンフレットより抜粋



そして、その彼女を救ったのは21歳年下のテオ・サラポという男性です。
47歳の死去まで、彼の純粋な愛が彼女を支え、彼女は彼の幸せを祈り続けます。


いづれ誰もが死んで行きます。
この世で手に入れた財産も、名誉も、何も残らず、「生き方」 や「思い」のみが残る
ということが、深く胸に染み込みました。

愛する人に何も望まないこと、ただ愛する人の幸せを願うこと、
形や物や条件にとらわれないこと、「心」の結びつきが大切であること、
そういう愛で結ばれている男女を探すのは、藁の中から針を探すようなものです。

けれど、私はそういう愛を貫こうと腹をくくり始めていました。
すべてを投げ出せるほどの愛する人に出会うことは、天からのギフトだからです。


私は、自分の中で感じていたこと、考えていたことに確信を得たようで、
何度も心の中で「神さま、ありがとう」の言葉が涙とともに湧き出してきました。
嗚咽を堪えるのに大変だった、なんていうのは初めてでした。


一緒に行った友達と二人で目を腫らし、ファンデーションは拭き取られ、
アイラインも消えてしまい、小学生のような顔をして、冷たい風が吹く夜の銀座の街中を、
ほかほかと暖かい心を胸に駅まで歩きました。

これでまた、しばらくはガンバッテ生きて行けます。

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ほんとに、美輪さんはスゴイ・・・・・。 
演技も歌も人間としての深さも。 

その一言に尽きました。
by anrianan | 2006-04-16 11:30 | ■芸術orエンターテインメント
100人の村・・・
いつも、目の前の自分のことで頭がいっぱいになってしまう私ですが、
ちょっと世界に目を向ければ、もっともっと苦しい状況の人たちがいることに気づきます。

d0046294_11293053.jpgお風呂に入るとリラックスをして、ふといろいろなことを思い付くのですね。
数日前にも、「窯に監禁されて不当労働されていた中国人救出!」 のニュースを思い出し、そういう人たちの体験を考えると、私はなんて幸せなんだろう、と思ったものです。

また、北朝鮮の美女軍団。
ある意味では 「権力者たちの玩具」 にされることがあるということを知ると、
いつの時代にも変わらない女性の弱い立場があるのですが、そういう国や時代に生まれていない私は幸せだと思いました。


世の中では、肉体的・精神的に抑圧や拘束を受けている人々、
最低限のものが食べられない人々が、どのくらい居るのでしょうか。


「らんせ」さんのブログで、とても胸を打つサイトが紹介されていました。
動画で見る100人の村”というものです。
是非、ここを↑クリックすることをお薦めします!


仕事のことで、心がドヨ~ンとしていた私でしたが、涙が出ました。
私はこれを見て、あまりにも物質的には裕福な日本の中で
不幸に陥っていた自分を感じました。
屋根の雨漏りも、「雨漏りくらい・・・」と思えるようになりました。

食べ物もあるし、たまにお菓子を買ったり、コーヒーを飲んだり、お酒も飲めます。
屋根があって心地良い布団の上で眠れるし、精神的な拘束も受けず、性的虐待も無く、
職業も自由に選択できるし、勉強もできるし、本を読む時間もあるし、パソコンもある。
好きな音楽も聞けるし、鳥の声も聞こえるし、自然も溢れているし、花の香りが漂う。

どんなに恵まれた環境に居ても、人間は必ず何らかの「問題」を見つけることに
長けているのかもしれません。

 私は、もっともっと使わない道具、着ない洋服を処分しようと思います。
 ピアノも東南アジアなどで役立ててもらおうか・・・・。


私は決して並外れた物質的豊かさを望んでいるわけではなく、
健康で、普通に生活が出来て、友達が居て、そして私の大切な人たちも
幸せな生活を送ってくれていれば、言うことなしだと思っています。

この「普通に」というのが、クセモノだと思いますがね。
「必要なもの」というのも、人によって価値観が違うから非常に難しくて、
この価値観というものは、生活環境や生活レベルによっても異なると思うんですね。


私は、「生きる糧や希望が持てる自分でありたい」と思います・・・・・・。



それにしても、このままでは、
日本はそのうちにとんでもないしっぺ返しを受けることになるのではないでしょうか・・・。
by anrianan | 2006-04-15 06:52 | ■一言いわせて!