カテゴリ:■心・精神・魂( 39 )
バレンタインデーのチョコレート
今朝、心友が一年前にくれたチョコレートを食べました。
小さな箱の中にはたった2粒だったけど、きっと彼女のことだから、小さくても高価なものに違いないのです。
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私たちはお互いにやり繰りは苦労していますけど、彼女はできる範囲で精一杯の心を込めてくれる人、私が「心友」と呼ぶ人はそういう人ばかりです。

「学生の時しか“友だち”はできない」
と言い切った人がいますが、ずい分寂しい人だなと思いました。
私は社会に出てから、しかも好きな道を歩み出してから、生涯続くだろうと思える友だちとたくさん出会いました。
どんな出会い方や場所であろうとそれは出会うためのきっかけにすぎず、“友だちになれるかなれないか”を決めるのは、自分の心や生き方だと私は思っています。その結果が、今いる場なのですから。

“類は友を呼ぶ”
といいますが、自分が成長すればそれに見合った人と出会える、とも感じています。
学生の時は確かに純粋で、損得なしに友だちになれるのでしょう。・・・・・・が、果たしてそうでしょうか。

社会に出て、いろいろな駆け引きや損得勘定が働く中で、そういうことに流されずに
(この人との関係を大切にしよう)
と思うことができたら、その人とのつながりは強くて深いものになるのではないでしょうか。
もちろん一方通行では成り立たないのですが。

友情も恋愛も相手を大切に思うという点では、私には同種のものに思えるのですが、人それぞれ“友だち”という言葉に込めた思いの深さは違うから、私の思いが届いていなかったんだなとがっかりすることもあります。
だからこそ、“心友”と呼ぶまでには注意深く接していくという自分もいるのですが。


それでも好きな時空間に身を置いていると、好意を感じる人に多く出会えるし、そういう人と交流していくうちに「友だち」になり、「心友」に変化していき、一生の宝をプレゼントされたような豊かな気持ちになります。豊かな気持ちから感謝の念が生まれ、感謝している自分が今ここにいることに感謝する・・・・・・ということが、とても有難く思えます。
心友という呼べる人はそんなに多くいませんが、一生のうちに一人でも二人でもそう思える人に出会えたら、
「今世を生きた甲斐があった」
と私は思えます。

誰にでも平等にそういうチャンスは与えられていますが、好きな空間に身を置いていない人が、それを人のせいにして心を閉ざしていたりすると、限られた同じ時空間を生きているのに、ずい分勿体無いと感じます。
心が閉じている時は特に、自分では気づいていないことが多いから恐いですね。・・・・・・
すぐ傍にある宝を、ざらざらと零れ落としているわけですから。


老いも若きも、今はいつ死んでもおかしくない世の中だから、一瞬一瞬を感謝と喜びと楽しい時間で埋め尽くし、後悔のない生き方をしていたい、と思います。

「ありがとう」
「ごめんなさい」
「大好き」
という言葉を素直に、心のままに伝える勇気を持って、想いのキャッチボールを続けていける人を大切にしたい。
そういう思いを込めて、大切に冷凍保存してきた心友からの赤いハートのチョコレートを、パクリと口に入れました。



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by anrianan | 2013-02-13 11:48 | ■心・精神・魂 | Comments(0)
マイケル・サンデル
彼の名前を見ると、本ならば必ず手に取り、ビデオならば必ず見ずにはいられない。

d0046294_14164617.jpg以前たまたまテレビをつけると彼の番組(教育テレビ)ということが数回あった。
日本に来日して東京大学で講義をした時のものだ。
偶然は世の中にないというから、意図せずに見たり聞いたりすることが数回重なると、これは縁がある(または必要がある)と思うのだ。

この番組を見て以来、本屋で彼の本を手に取り、裏をひっくり返して値段を確かめ、本棚に戻す。
これを数回繰り返して、とうとう一冊だけ購入した。




ここまでを前書きとして、ここから今日の日記。

朝から ドッ しゃ降りの雨で5時半に目覚めて、3回目に時計を確認すると、なんと9時半になっていた!
(雨だからよく眠れるんだなぁ・・・・・・)。
遅起きへの罪悪感を消すための言い訳をしながら、寝過ぎたために朦朧と階下に降りてきた。

何もしたくなかったけど、とにかくいつも通りに水を浴びながら祓い祝詞を奏上した。
そしていつもの流れで、洗濯をした。
そしていつもの流れで、水出しコーヒーを温めてカフェオレを飲んだ。
そのまま傍らのノートパソコンの電源を入れてしまった! (ああ、これでしばらくPCの前に根付いてしまうのだ・・・・)。


そして、サンデル教授と再会した。
NHKオンデマンドの無料視聴番組に<ハーバード白熱教室 第 1回 殺人に正義はあるか>を見つけ、さっそく見入ってしまったというわけだ。


笑っちゃうのだけど、今回初めて彼は哲学の教授なのだと認識した。
(そうか、私は哲学が好きなのか・・・・・)
ということも分かった。

もしも今から大学で勉強をするとしたら、私はどの学部に行きたいのだろうか? というのが最近のマイテーマだった。
高校生の時から“これを勉強したい!”というものがなかったから、私は大学に行っていない。
けれどここにきて何かを始めたいと感じていて、ずっとずっと考えていた。
好きなことはいくつかあるけれど、考える間もなく衝動的に心が喰いつくものでないと続かないし、頭に入ってこない。
私の脳みそは極端なのだ。
でも彼には無条件に喰いついている。(笑)

  そうか、哲学は大好きなんだな。・・・


そしてふと考える。
ハーバードで生で講義に参加できたらいいなぁ・・・・・・。

とはいっても、
英語でこれをすべて理解することはできない。
第一、ハーバードに入学するには東京大学に入れるくらいの学力がないとダメなんじゃないか? 
理性の私が夢色の私を現実に戻す。


ん・・・・・・、なんとかならないかなぁ。・・・・・・
それでも往生際悪く考える。


そうだ! 
とりあえずNHKのオンデマンド特選見放題パック(945円/月)に入って、彼の番組をすべて見ようか!(16シリーズあるのだ)

・・・・・・。

なんて安直なんだ、なんの解決にもなってないじゃないか。
それにHuluで米国のテレビドラマを見まくるだけでも忙しいのに、この上見る番組を増やしてどうするのだ。

ということで、この問題は保留。
次の議題に移る、今週末のスイーツは何か?・・・・・・




ああ、なんだかつらつらと取りとめのない日記。
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by anrianan | 2012-05-03 14:09 | ■心・精神・魂 | Comments(2)
食べること、生きること
最近なんとなく考えていたことや今まで自分に問いかけてきて“答えが出たなぁ”と感じていると、活字として目に飛び込んでくることが多くなった。

2月7日(火)の東京新聞の記事もその一つ。
昨年から始めたスイーツ作りは、特に何の目標があるわけでもないのに、熱しやすく冷めやすいと言われてきた私が、珍しく今日まで続いているアクティビティ。
もっとも“熱しやすく冷めやすい”のは、目標に向かっている時は熱していて、達成すると冷めるからだ。
いつも全力疾走していたから、目標達成までの時間が短かったとも言える。

しかし今回は向かっていく目標があるわけでもなく、比較的地味に一人で楽しむ活動としてこんなに続いているなんて、と我ながらビックリしている。(とは言っても、まだ一年も経っていないのだけど)。


続いている理由の一つとして、昨年九月から出稼ぎに出る日数が増えたので、以前のように頻繁には作る時間が取れなくなり、その分スケジュール帳を見ながら
(今度はアレを作ろうか・・・・)
などと考える時間が多くなり、さらに実際に作るまでの時間が“想いの貯め”となり、作ることが小出しの噴出となってそれを繰り返す。
これが“作りたい気持ち”が続いている要因の一つであるような気がしている。
恋愛と一緒で、障害がある方が燃えるのだ。
しかも、一気に燃え上がるよりも炭火で燃えている方が細く長く続く・・・・・・。


ということはともかく、一言でスイーツといってもいろいろな種類があり、
(私はどうやら、タルトやパン系が好きだな)
と感じ始めていた。
食べる方も好きだけど、ここで言う好きとは“作るのが好き”ということ。

その理由が、なんとなくこの記事を読んでストンと腑に落ちた。  (写真をクリックすると大きくなります)
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焼けてくる時の香りはもちろんだけど、生地をこねているのが心地良い。
食感としてはサクサクやザックリというクッキーよりは、ねっとりやしっとりという方が好きなので、タルトなどはまさに“捏ね好き”と“しっとり好き”の両方を満たす。

記事の中では
  “「食べて」というのは「生きて」ということ”
と書かれているが、私的には作った物を誰かに食べてもらうことで、「生きて」と言われているような気がしている。
人の喜ぶ顔を見て自分も嬉しくなり、これが生きる喜びになっている。
喜びや感動は魂の栄養、という感じがしている。


食の中でもスイーツという分類は、やっぱり贅沢品だと思う。
つい最近まで、一般庶民は簡単に食べられないものだった。
作っていると、自給自足では到底揃えることができない材料ばかりだ、と思ったりする。

こんな貧困層の私がこのような贅沢品に興じていいのだろうか? などとも考える。
けれど、物質的に貧しいからこそ心を豊かに保っていたいという思いも強く、焼けてくる時の甘く芳醇な香りやトロリと口に広がる舌触りは、間違いなく五感を通して物質的にも豊かな生活だと錯覚させられる。
そしてその錯覚を味わう前の生地を捏ねる作業でも、次第にキメが細かくしっとりと手に馴染んでくる感触は、私の心のキメもしっとりたおやかにしてくれるような、そんな気持ちにさせてくれるのだ。

作る喜び、食べる喜び、食べてもらえる喜び・・・・・・はまだまだ続きそうだ。



  続いてほしい。







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by anrianan | 2012-02-10 09:33 | ■心・精神・魂 | Comments(8)
花に囲まれて・・・・・
昨日はその前に書いたとおり、首都オペラのお手伝いで花束係。
お届け物のお花や菓子などを受け取って、出演者の楽屋に持っていってもらいます。

大きな花籠や花束、ワイン、お菓子(たぶん)などを預かり、受取証に名前などを書いてもらいます。
それを出演者ごとに分け、数を確認しますが、思った以上の肉体労働でした。
受付などもそうですが、ある時間に集中します。
また幕の合間に持ってくる人もいます。
さらに、終わってから持ってくる人もいます。(もちろん、終わった後は受け取る事ができません)
人っていろいろ居るなぁ・・・・・・。
短い人生の中で何度も感じたことですが、一人で過ごす日々が多くなり、たまにこうやって多くの人と一度に関わると、改めて、動物園の檻の中に入ったような気分になります。
あ、全部の動物が一つの檻の中にいるというイメージですが。・・・・・


ある出演者には大きな花かごや花束が4-5個届き、どうやって持って帰るのかしらね? なんて、人ごとながら心配したり、食べ物ばかり貰う人がいたり、ワインばかりだったり。
「差し上げる人の好みが分かってるのよね」
なんて笑ってしまいます。

花の香りに囲まれていると、慣れない作業もなんとなく捗るような気がします。
毎年この係を担当しているヨシコさんに教えてもらいながら、なんとか順調にこなし、ホッと一息。
このヨシコさんはちぎり絵作家で講師でもあり、イタリアで個展を開くような方です。
写真は最後の整理が終わり、一息ついた時の一こまです。

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     今日も再び、お花に囲まれてきま~す!

     







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by anrianan | 2010-09-05 07:27 | ■心・精神・魂 | Comments(8)
魔除け
雪が舞う東北で過ごした数日間だが、二晩続いて懐かしい知人から電話があった。
珍しいことがあるもんだ!
5年ぶり(?)というくらいに突然の電話をもらい、
(まぁ・・・よくぞ思い出してくださった)
という思いやら、
(なぜ“今”かかってきたんだ?)
という思いやら、嬉しさや驚きがない交ぜになった。

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最初の晩は陰陽師からだった。
この陰陽師はダンディーなシャレタおじさんで、モグラ叩きのモグラのようにひょっこり電話をくれる。
関西弁の軽妙な語り口に笑い転げるのだが、私の女性性を目覚めさせようと様々なアドバイスをくれる。

(カウンセリングをしてもらってるなぁ・・・・)
とその晩も感じていた。
陰陽師と私が呼ぶくらいだから不思議な力を持っているのだけど、なぜか私の旧い知人友人にはそういう人が多い。

話している内に、その陰陽師は私に、
「口紅をつけなあかん」
と宣った。
そう言われてみると、私は滅多に口紅をつけない。
彼は何年も私に会っていないから、口紅を付けていないことを知らないのだけど、そう言った。
「どうして付けていないことを知ってるんですか?! ・・・・・面倒臭いんですよねぇ、付けるの・・・・・」
と言うと、
「魔除けになる」のだそうだ。

この数年、すっかりこの世の邪気に負けてしまっている私に、あの手この手の方法(療法?)やヒントを与えてくれた。



そして翌日の晩、これまた珍しい友だちが電話をくれた。
彼女もいろいろと見えない心の世界を知っている人だから、私にあれこれとアドバイスをしながら励ましてくれた。

カネがあれば幸せというわけではないけれど、この世で生きていると大概のことはカネで解決する。
ほしい物や名声も手に入るし、やりたい勉強もできる。
仕事がなくたってカネがあればいい、という人も多いに違いない。
でも、やっぱり心の豊かさが幸せへの近道、でそこに至るまでの道のりが遠いのだ。・・・と私は思う。


私は何ヶ月毎かの周期で、おカネの遣り繰りに追い詰められて自殺したいくらいのウツに陥るのだけど、それでもこの状況を体験して良かったと思っている部分がある。
体験するとそれまで見えないモノが見えてくるし、一言の重みが違ってくる。
辛い経験をした人の言葉はたった一言で伝わるものが大きいけれど、上っ面で知ったかぶりをした人間の発する一言は、同じ言葉でもスケスケで軽い。


私は言葉を重ねるよりも、体験を重ねたい、と思う。・・・・・・




あと何回この波を乗り越えるんだろう・・・・・・。
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by anrianan | 2010-03-24 16:31 | ■心・精神・魂 | Comments(6)
ありんこの気持ち・・・・・・
朝目覚めて時計を見た時に6時きっかりで、次に時計を見た時には「6:30」というぴったりの数字を見ると、意味もなく “ツイてる” と思えたりする。同じようなことが、「5:55」とか「7:07」というようなゾロ目でも言える。
要するに何時でもいいのだけれど、それを見た時に自分が気持ちよくなれるかどうか? というだけのこと。


それと同じようなことで、
「人に言われた言葉をどう感じるか?」
は自分の問題だと思う。
同じ言葉を聞いても、何とも感じない人もいれば、傷ついたと怒ったり悲しんだりする人もいる。
また、ある人を見て“嫌な人”と感じるか、“好きな人”と感じるかという違いもある。
それらは、自分の心の反映であるように思える。

その“嫌な人”と関わらなくてはならなくなった時、なるべく接点を持たないように、まず私は逃げる。
けれど、どうしても逃げ切れない状況に追い込まれると、
(何かを見なさい、ってことなんだな)
と、いよいよ諦めて考える。

嫌いな人の“嫌いな部分”は、自分の中の嫌いな部分だから見たくないのだ。
しかし、それは自分で反面教師として今後に生かせるから、まだ良い。
落ち込むのは、接触したくないくらいの低次元と思っている人物と関わらなければならない私も、同じくらいの低次元の人間だという現実。

私は蟻地獄に嵌ったありんこのように、一人でジタバタともがく。
なんとか、その人物と違う次元に移動しないと、いつまでも関わらなくてはならない。・・・・・・

(移動したかも・・・・・・)
と思える一つの目安は、相手を好きにはならないまでも、腹が立たなくなること。哀れみ始めること。
これは“感覚”であるから、自分の意志でどうこうできるものではないけれど、
(可哀想な人間・・・・・・)
と感じると、私はその人物から解き放たれているような気がしている。

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by anrianan | 2008-12-10 16:11 | ■心・精神・魂 | Comments(10)
久しぶりの眠れぬ夜
世の中、変な人間が増えたと思っていましたが、そういう種類の人間たちと関わらなければならなくなった時・・・・・・。



何日か前のテレビで、海外に駐在している日本人で自殺者が一番多い国は中国、という特集を見ました。
中国人の気質や国民性に触れた経験がある私は、そりゃそうだろう・・・・・・と思いましたが、文化・伝統が違う国とは言いつつ、漢字を始め、伝来してきた文化や宗教は数多くあります。
要するに、生まれ育った環境の違い云々ではなくて、精神とか魂の質が違うと、同じ言語を話す人間でも通じないのです。

私の海外での経験ですが、言葉や伝えたい思いを楽々と通じあえる人と、通じあえない人がいることに驚きました。
私の語学力の問題や、相手の知識レベルの問題もあるとは思いますが、同じセンテンスを使っても、感覚的に通じているなと感じる人と感じない人。これは、どちらか一方が感じるのではなく、双方で感じていることですね。


考え方が違う、そういう事ではないだろう、と異を唱えたくなる事や人に、
「言うべきことは言っておいた方がよい」
と、以前は思っていました。
けれど、通じないものは通じないのです、現段階では。(将来はひょっとすると、通じる時がくるかもしれませんが。)
言いたくない事を言うために、嫌な思いをしながら無駄なエネルギーを使う必要はない、と思うようになりました。

お騒がせな困ったチャンたちは、何か事が起こると、すべて自分以外の、周囲の人やモノのせいにしますが、原因はその人自身が作っているということが、傍から見ているとよく分かります。
さて、問題はそういう大人の肉体を着たお子ちゃまに、絡まれた時です。


こちらへの気配りや配慮など当然ありませんから、自分の言いたいこと、やりたいことを感情のままにぶつけてきます。
周囲の人が聞いていて不愉快になるだろうとか、和やかな空気が壊れるだろうとか、もちろん考えません。


フラレた女が執着心にボウボウ燃えて、フッた男の会社や自宅にまで押しかけて喚き散らす、といった映像が私の頭の中にダブルのですが、こういう時、責め立てられるこの男性は、どのように身を守ったら良いのでしょうか。
フラレた女性は男の心を取り戻したいと躍起になり、愛情が裏返って憎しみになるのでしょうが、男にとってはただのいい迷惑。

あなたのココが悪い、と言ったところで、聞く耳を持っているくらいなら、周囲への配慮が感じられるでしょうし、黙ってジッと自分を省みる姿勢が伺えると思うのです。攻撃してくるというのは、言っても通じない相手だと、自分で証明しているようなものです。



周囲の心地良い環境や人間関係を築くために、私は話しかけられるまでタイミングや状況を考えて待つことが多く、やたらにこちらの感情で動くことはしません。
少しずつ長い時間をかけて、偶然に話す場面が訪れる時を待って築いてきました。
それを、KYという人たちは、暴力的に崩して行くんですね。・・・・・・


きっと、私も昔やっていたに違いない。・・・・・・
今も気づかない所でやっているかもしれない。・・・・・・
好きになった男性に、やっていたかもな。・・・・・・ (若かりし頃だけどね。)


過去を思い返して反省をしながらも、もう二度とそういう人種にはなりたくないし、関わりたくないと思う今日の私でした。・・・・・・




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by anrianan | 2008-11-13 16:59 | ■心・精神・魂
雨が降る
昨日は心がどんより鬱った朝だったが、これじゃいけないとささやく心があり、庭を眺めているうちに
「よし、手入れをしよう」
と着替え始めた。
ここまで動ければ大丈夫。
思っても動けない時、動きたくない時はアブナイのだ。

こういう時、おナカさんがいてくれたらいいのになぁ、と思う。
「な~に言ってんの! ようするに、ヒマなの! お母さんなんか、やること一杯あってそんなこと言ってらんない!」
と一笑に付して、イキイキと(私からはそう見える)家事をこなす。それを見ると、要するに私は怠け者なのだ、と思う。
子どもの時からあまり家事の手伝いをすることなく、自分の部屋で机に向って座っている時間が長かったから、その延長で今に至っているのだ。
これで結婚でもしてれば、母の真似してあれこれ動くことが習慣づいたのだろうけれど、会社勤めが多く、しかもパソコンの前に座っている時間が多い仕事だったから、女としてはイマイチになってしまった・・・・・・。

しかも今は一人で気ままな生活だから、なおさら自己コントロールが必要になる。
「自由」の難しさを、まざまざと知らされるのだ。
人間は、多少規制がある方が楽なのだ、と思うがどうだろうか?
ま、そういう意味では、この生活はまさに「修行」の毎日というわけだ。・・・・・・


話は戻るが、とにかく昨日は気分の落ち込みから脱却せねば! との思いが強く、こういう時は遊び場ともいうべき野生の庭があることをありがたく思い、両親に感謝する。

まず、目をつけたのは「センダンの木」。
トムジーさんには、「根元に筋を入れて枯らした方が・・・・・・」と何回もアドバイスをいただいているが、私はこの木の葉っぱと花と花の香りが好きで、枯らすことができない。
しかし、生命力抜群の木だからぐんぐん伸びる。
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ご覧の通り、赤線の所から枝を切ることにした。
その下にあるミニトマトに日が当らなくなったからだ。

d0046294_7154085.jpgすると、ぽっかりと空間が広がった。センダンには可哀想だが大分スッキリ。
(後ろに見える木はソメイヨシノの桜だ。)

その後、積み上げてあった枯れ葉や枯れ枝を燃やす「お焚きあげ」を行う。
これを行うと、なんだか罪科穢れ(つみ・とが・けがれ)が、ちょっと祓われるような気がするんだね。
(もちろん気休めなんだけど)

さらに、ツインタワージャスミンの残っていた方の根っこを整理し、赤紫蘇を半分ほど刈り取って紫蘇ジュースを作ることにした。


この頃になると、ちょっと息も上がり始めるが、体の動きも回復して脳からアドレナリンが噴出してくるのか、あれもこれもとやる気満々になる。

すると・・・・・・である。
雨が降ってきた。

・・・・・・・。


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空を見上げると、霧雨のような雨が降っており、しっとりと周囲を濡らしているではないか。
(なんだよ、やる気になっている時に・・・・・・。)
水を差すとはこういうことだ、と心の中でぼやきながらも、これも天からの忠告と思って素直に撤去。

さ~て、今日も一日終わったぁ!
と清々しくお風呂を沸し、お腹も減ったし、そろそろビールタイムかな? と時計を見れば、・・・・・・あれ?

私は時計が止まったのか、と思った。

すっかり4時半頃のつもりでいたのに、時計は12時半を指している。

一瞬頭の中が混乱し、
(いつの12時半?)
と、完全に時差ボケ状態の感覚である。

私は携帯電話の時計(これは正確)で確認した。
やっぱり、「12:30」と表示されている。
改めて朝からの自分の行動を確認してみれば、「そうか、日曜日恒例のテレビ」を見なかったのか、ということに気づいた。つまり、いつもなら家の中にいる時間から野良仕事に出てしまったから、すっぽりその分の時間が“余って”いるわけだ。

ありゃ~!

というわけで、紫蘇ジュースを作り、鶏ハムを作り、ついでに鶏肉の紫蘇とチーズのはさみ焼きを作り、鮎を焼き、古い梅酒を別の瓶に開け替えて・・・・・・なんてやっていたら、ようやくお待ちかねの4時半ごろになり、めでたく風呂に入ってビールタイムがやってきた。

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どんな一日でも充実感を得られることが幸せで、いかにその充実感を作り出すかということに、私は命をかけているような気がする今日この頃。・・・・・・
by anrianan | 2008-08-18 07:20 | ■心・精神・魂 | Comments(4)
雨乞い祈祷
4時に目が覚めた。
真っ暗ではないか・・・・・・。
すでに日が短くなっていることが実感される。

風も秋風になり、この風の匂いを嗅ぐと私は1995年の秋に引き戻される・・・・・・。



d0046294_7175742.jpg朝晩はすっかり涼しくなったが、ひとたび日が差し始めると厳しい残暑が戻ってくる。
天気予報では「雨」なのに、ここは決して雨が降らない。
この局地的な雨の降り方はどうなんだ? と何か危機感を持つのは私だけだろうか。・・・・・・

昨夜は月が美しかった。
かたや北東の空は、雷で光っていた。
私は寝る前のわずかな時間に瞑想をすることにしているのだが、閉じた瞼の裏にも稲光のフラッシュが光る。
長崎や広島の原爆はいかほどの光だったのか・・・・・・、とふと思った。

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私は幸せだ。
でも、今世はもう終わってもいいと思っている所がある。
激しく刺激と変化に富んだ生活も堪能したし、穏やかな幸せを感じる生活も今味わっている。

やりたいことはやった・・・・・・。




私の人生はすでに晩秋を迎えているような気分である。


やり残していることと言ったら・・・・・・・・・・・・・・・・・・、部屋の掃除。(!?)
by anrianan | 2008-08-17 07:19 | ■心・精神・魂 | Comments(6)
秋葉原事件と牛乳の乱 
最近雨降りが多いから、「思うこと」が増える。・・・・・・(と言っても、昨日も今日も天気予報はハズレて雨が降らない!)
ま、雨が降らなくても、早回しで進む日々の中で気になっているニュースが2点。

一つ目は、まさに世間で大騒ぎとなっている「秋葉原事件」。
何の落ち度もない人が殺され、その人たちの家族や知人、一体何人の人の悲しみと怒りが犯人に向かっているのか、と考えると、未来永劫、彼の魂はその人たちへの償いをしていかなければならないのだろうと思う。


d0046294_1833119.jpg一方で私は、自分の中にも犯人と同じような心の闇がある、とも思っている。
派遣社員だった彼が抱えていた将来への不安、幼いころには優秀だった故に、一層強まる現在の自分への失望。彼の場合、親が代理した作品で表彰されたりしていたらしいから、なおさら虚実のギャップからの罪悪感や劣等感が強かったのではないか、と想像する。

品物も人件費も、
「安いけりゃいい」
という社会のありかたには、私もやり場のない怒りと失望を感じている。
弱い者がどんどん虐げられる。

希望や夢をもっていられる内は、まだいい。
「食」と「住」という生きる最低ラインが脅かされている人間の気持ちを、国民の税金や公金でのうのうとオイシイ思いをしている人種には分からないだろう、と思っている。

最近は「後期高齢者医療保険」が旬の話題になっているが、ネコババされた年金の突き合わせ作業は、今どうなってるんだい? 社会保険庁の職員さんたちは、給料分働いているのかい?
政治家の皆さん、あなた方の収入は、一体いくら?
新幹線はグリーン車乗り放題だし、タクシーもタダだし、宿舎は格安だし、「経費」を公開してもいいかもね。
温度空調整備されたきれいな室内でお仕事していると、寒い中でも泥まみれになりながら農作業をしたり、暗い早朝から漁に出る現場最前線の人の現状を知るのは難しいでしょう?


安い人件費ばかりを求める企業経営者、
「一人辞めたら別の一人を持ってきて穴埋めをすればいい」
と考えているのだろうけれど、働く側の意欲を失わせ、その持ち場に対する責任感を希薄にし、結果的に業績も利益も伸びないんだよ。そんなことも分かんないのかね。・・・・・・


d0046294_1804162.jpg「安けりゃいい」関連で、思うことの2つ目。
本日付東京新聞の朝刊に、“牛乳の乱” の見出しで、飼料代が高騰して酪農業者が廃業に追い詰められているという内容。

そして記事中の、
“「日常品なので、また値上げされると負担になる」と三歳の娘を持つ主婦は困惑する。”
“「食品の値上げが相次ぎ、消費者は価格に敏感。買い控えたり、より安い牛乳に切り替えているのかも」(バイヤーの中村南さん)。”
などのくだりを読むと、私は何ともやりきれなくなる。


悪質な業者は、売上げを増やすために、薄い牛乳を作るかも知れない。あるいは、ミートローフみたいに、薄めたことを誤魔化すために、何かを混入するかもしれない。
ということを想像すると、何が混在しているのか分からない牛乳を飲むくらいなら、脱脂粉乳を飲めばいいじゃない、と私は思う。
そのくらいの危機意識は、一人一人が持ってもいいのではないかと思う。


時代を戻して「少し不便な生活」をすればいいのよ。
今までは飽食で消費の時代、随分食べ物を無駄にしてきた。そのツケが今来ているし、これからも続くと思っている。
農作物を作る手間や時間、牛や豚を育てる課程を知らずして、スーパーに並んでいるものをお手軽に安く手に入れよう、という方が図々しいのだ。

といっても、私もそうだった・・・・・・。



仕事を通じて、非常識が常識になっている社会やその中で製造・形成されている人間に幻滅し、経済的に追い詰められながら漸く見えたものもある。とするならば、ビンボー族ってそんなに悪くないじゃないか、と近ごろの私は思うのだ。

(私も自棄になって、人殺しをするまでには追い詰められないように)
と、アヒルのように水面下で必至に足をバタつかせているのも確かなのだけれど・・・・・・。
by anrianan | 2008-06-12 18:18 | ■心・精神・魂 | Comments(4)