NHK土曜時代劇は見たり見なかったりなのだが、現在放映されている『まっつぐ』の原作本をいただいた。
12巻~16巻まで。 シリーズ本はハマると、全部読みたくなるから困るのだ。 1巻~11巻までを読みたくなったら、どーするのだ?! という取り越し苦労は、今からするのはやめておこう。 ![]() 余裕があるならばハードカバーの本が欲しいと思うけれど、どこかに出かける時に必ず携帯する本は文庫が一番。 ああ、これで当分通勤には困らないぞ。・・・・・・・ なんだかまだ疲れが抜けない・・・・・。 すっかり発泡酒からお湯割り焼酎の季節。・・・・・・今日も応援のぽちっをお願いね。 ↓ ↓ ↓ 人気ブログランキング
「横浜地方気象台より、大雨洪水警報が発生されました・・・・・・・」
どこか遠くの方から、モヤンモヤンと響くスピーカーの声で目が覚めた。 携帯で時間を確認すると3:43分。 空は仄かに白くなっている程度で、ザーザーと激しい雨音が聞こえる。 (今日はどんな日だったっけ・・・・・・・・?) はっきりしない意識を呼び覚まし、つまりは今日出掛ける用があるかないか、の記憶を辿るのだ。 しばし考えて江戸に出ていく日だと判明。 すると今度は、交通機関の心配が出てくる。 (早めに到着するようにしないといけないな・・・・・・) 通常でも2-30分は余裕を見て家を出ているが、雨の日となると1時間くらいは必要に思える。 雨がひどい日は駅までバスを利用することにしているが、そのバスが遅れてきたりするのだ。 先日もそれで酷い目にあった。 (今日は1時間くらい早く出ないとな・・・・・・・) と予定がたったところで、眠れなくなった。 昨日の続きの現世に戻ってくると、腹が立つことや考えることや、時には心配事が多過ぎる。 携帯から4時を知らせるアラームが鳴ったのを機に、思い切って起き上がった。・・・・・・ さて、そんなドンづまりの中に、1本の蜘蛛の糸が下がってきた。 ![]() 『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす』 「なぜ私は海外の方が生きやすいのか?」 「なぜ海外の方が認められるのか?」 という疑問が解けそうな気がしている。 疑問が解けた所で、この日本社会でどう解決できるのかはまだ分からないが。 けれど現在、まるでこの世では不要とレッテルを貼られているような状況の私には、きっと救いの手になるに違いない。・・・・・・ という気がしている。 今日は、不発の核爆弾が私の中でくすぶっているので、この辺でやめておく。・・・・・ えぇ~いっ! 爆発してしまえぃ~! みんなブっ飛んでしまえぃ~! と危ない私に、「どぉどぉどぉ・・・・」と応援のぽちっをお願いね。(^_^;) 馬ジャナインダカラ… ↓ ↓ ↓ 人気ブログランキング
宇江佐真理氏の「髪結い伊佐次シリーズ」は、以前にも何冊か読んでいて好きなシリーズの一つです。
『我、言挙げす―髪結い伊三次捕物余話』(文藝春秋 1600円) ![]() 当時の人々は、毎朝(といっても生活水準によって異なりますが)髪結いに来てもらって、髪の毛をセットしてもらいます。朝シャンしたら、櫛で髪をすいて、鬢付け油でキチッとなでつけて結ってもらうわけですね。 主人公の伊佐次は、台箱という今でいうメイクボックスを持って、顧客を回って仕事をします。 お侍は登城(出勤)する時間が決まっていたでしょうし、それまでに駆けつけて髪をセットしてあげるのですから、早朝の仕事なのだということが想像できます。 この伊佐次は、お文という芸者と結婚していて、伊与太という子どもがいます。 当時では珍しいのではないかと思いますが、伊佐次が外回りで髪結いの仕事と奉行所の手伝いをし、お文は結婚後も芸者を続けているので、伊与太は知り合いに預けて夕方引き取られるという、現代の共稼ぎ夫婦江戸時代版です。 6篇のエピソードの中に「明烏」という話があり、その中でお文は 「自分の来た道、行く道はこれでよかったのだろうか」 と考えます。伊佐次と惚れて惚れられというのは昔のこと。今は稼ぎの少ない亭主の不足を補うためにお座敷づとめを続けているが、本当は呑気に暮らしたい。伊与太とももう少し遊んでやりたい。 お文は、大店(オオダナ)の娘として何不自由のない暮らしをする機会はあったのです。 それを思い出し、 「わっちがあの時、別の道を行ったとしたらどうなったのだえ?」 と考えるのです。 誰にでも、そういう「・・・たらば」ということはあると思います。 そしてお文は不思議な体験をします。それが「明烏」の話です。 ほろりと胸が暖かくなる内容は、ぜひ読んでみてください。 そして、最後の「我、言挙げす」では、不破龍之進という若い同心を中心に書かれています。 若竹のように純粋で真っ直ぐな龍之進は、袖の下をもらったり不正をうやむやにすることが許せません。 今の世でも当然である「まぁまぁ・・・・」ということに、嫌悪を感じるわけです。 けれど、父である友之進に、 「後悔するぐらいなら、言挙げはしなかっただろうて」 という一言を言われ、「言挙げ」という古い言葉に思いをはせながら、世の中の成り立ちのようなものを学び取ります。 悪が必ずしも悪としてのみ存在するのではない、というようなことを。 私も神道を少しばかりかじったので「言挙げ」という言葉には、非常に心が惹きつけられました。 改めて、ここに抜粋しておきます。 「・・・神代の頃、言挙げは言葉の持つ呪力を働かせる行為であり、一種の呪いと解釈されておった。それで間違った言挙げをすれば、その呪いが自分に跳ね返ってくると信じられていた。倭建命(ヤマトタケルノミコト)が・・・・・(中略)・・・・間違った言挙げをしたので山の神の怒りを買い、・・・(中略)・・・そのために疲れ苦しみ、、とうとう命を落とす羽目となった」 「・・・・・・慢心は悪い結果をもらたすものだから、心して発言せよと注意を促したつもりだったのだ」 と、手習所に通っていた頃の師に教えられたのですが、私も龍之進とともに胸に突き刺さるものがあります。 そしてこの話の最後、龍之進が “今こそ、我、言挙げす!” という場面に直面した時、言挙げできないほどの感情(感動?)を、ともに味わうことになります。 市井に生きる人々の、つましくも温かく平凡な人生に励まされます。 宇佐江真理氏の作品も、ハズレがありません。 山本兼一氏『狂い咲き正宗』は、正直あまり期待していませんでしたが、見事に裏切ってくれました。 『狂い咲き正宗 刀剣商ちょうじ屋光三郎』(講談社 1600円) ![]() 御腰物奉行という家に生まれた光三郎は、納得できない大人の社会について父と激論し、とうとう勘当されて家を出ます。というよりも、光三郎が飛び出したという言い方もできるほど、そこら辺の二世、三世とは気合いの入り方が違います。 御腰物奉行というのは、将軍の佩刀(ハイトウ)はもとより、大名に下賜する刀剣、大名から献上された刀剣を扱い、刀の試し切りや拵えの彫金にまで目を光らせる奉行です。 当時の就職は世襲制ですから、もともと刀を大好きな光三郎は、幼い頃から父について一般には見ることができない名刀を見る機会にも恵まれ、彼の鑑識眼は磨きがかかりました。 その光三郎(侍名は勝光)は、目利きの刀剣商の娘を貰い、婿としてその家に入ってしまいます。 そこに持ち込まれる刀や実の父から持ち込まれる刀を中心に、さまざまな出来事に直面するのですが、何と言っても刀についての職人眼といいますか、素人の私が読んでいても講釈が面白いです。 実際に刀を見たことはありませんし、読んだ説明も全部覚えていませんが(笑)、その道ならではの詳しさは、読んでいて飽きません。 七つのエピソードが収められており、最後のエピソード「だいきち虎徹」は、大凶相の虎徹という刀が来てから、光三郎の周囲では悪いことばかりが起こる話です。 その中で、義父である刀剣商の吉兵衛が最後に言う言葉があります。 「生きれいれば、吉のときばかりじゃない。凶が続くときもありますよ。大切なのは、吉か凶かじゃない。そのとき、そこで、どうするかっていうことです」 私はこの清々しい秋風とともに、ブラボー! と叫びたくなってしまいました。 字づらにすると簡単な語句ですが、その渦中に自分がいる時には、この吉兵衛の言葉は呪力のように効いてきます。 ああ、やっぱり時代小説っていいですねぇ。・・・・・・・ それでは、さいなら、さいなら、さいなら・・・・・・(て、どっかでありましたね。)(笑) 読書の秋に、ぽちっをお願いします。ありがとう~♪ ↓ ↓ ↓ 人気ブログランキングへ 久しぶりに読書感想文です。これは前回の社内販売で買った本ではなく、その前の社内販売で買った本です。(笑) ようやく読みました。読んでみたら面白かったので、書いておく気になりました。 * * * * * 2006年に『小説現代』に連載されていた分と、書き下ろし2篇が加えられた全7つのエピソードからなる。 「雇われるのは我慢ならねえ」という破天荒な清三郎は、金貸し屋と同じシステムで「腕」を貸し、かかった日数分の利息をとる。相手によって利息は変わる。「二」という数字が嫌いだから、名前に「二」が付く奴には腕を貸さないとか、尊大な人間からは日に50両という利息をもらうとか、自分の気が向くままに生きている。 非情で残忍かと思えば、意外や情深い面もチラリと覗かせるが、それを見抜く人間は殆どいない。 その男の下女おさえは15歳。彼女は父親の借金のために清三郎の家で働いている。清三郎を極悪人と思っている彼女は、暗く冷たくて陰気な働きもの。清三郎は、女郎屋に売り飛ばして借金を取り立てようとしたが、父親に泣きつかれて下女として使うことにした。しかし、家中を陰湿な空気で充満させる彼女の陰気さに、ほとほと嫌気がさしている。 そして、その二人の冷たくてちぐはぐな関係が、妙に面白い。ちょっと新しい感覚の時代小説。 最後のエピソードを読み終わると、この先が読みたくなるたっぷりの余韻。 その理由は・・・・・・、読んでみてくだされ。 犬飼六岐『吉岡清三郎 貸腕帳』(講談社 1800円) 参考になった方もならなかった方も、ぽちっをお願いします。ありがとう~♪ \(^o^)/ ↓ ↓ ↓ 人気ブログランキングへ
今日は久しぶりに、残暑が戻ってきている。
とはいっても、風はもう秋風。以前ほどの湿気は感じられない。 さて、昨日は出稼ぎに出たが、思いがけず「社内激安セール」があった。 何の激安かというと、本である。これは年に2回くらい開かれるのだが、 「来週のX曜日らしいよ」 という極秘情報が、前もって密やかに流れるの通常だったが、昨日は電撃だった。 (ああ! 出勤日でよかったぁ~!) 人間期待していないと、喜びは何倍もに膨れ上がる。 ![]() 2時になって社内販売開始の社内放送が入り、私は相方のミッチャンに 「先に行っていいよ」 と言ってもらって、そそくさと席をたった。 一つ上の階の会場に着くと、すでに長い列が・・・・・・・・。 会場は狭い。満員電車のような混みようである。しかし、満員電車は我慢ならない私でも、この時は「へ」とも思わず、果敢に入り込んでいく。 長いテーブルの上に、無分類の本が背表紙を見せて並んでいる。その上をまるで「かるた」のように素早く目を走らせながら、どんどん選んで抱えていく。袋を持ってきていて、入れ込んでいる人もいたな。 とにかく、じっくりと「読むかなぁ・・・・?」なんて考えずに、瞬発力が必要だ。 私は「時代小説」狙いだから、それらしき背表紙や臭いで嗅ぎ分けていく。 早い者勝ちだからね、“必要なものは目に飛び込んでくる” と信じて集中して見ないと、やたら戦闘モードで浮足立っているから、目が背表紙を滑ってしまうのだ。(^_^;) 3時頃になると、一回クローズされて、 「10冊で500円です」 となる。つまり、1回目の激安で売れなかった本である。 すると、また出かける。 しかし、もうちょっと待つと、 「無料配布いたします」 となる。・・・・・・しかし、こうなると (無料で貰ってもなぁ・・・・・・) という本だけになるから、やっぱり1回目にゲットしたい、というのは誰も同じ。 そして、 「まだ前回の本が読み切れてなくて・・・・・」 という人も、結構多いようだ。 というわけで、回を重ねるごとに私が購入する冊数は減っている。(それでコレなんだけど……)(笑) ほんとに私って強欲な人間・・・・・・、と毎回反省するのだが、普段欲しくても買えないハードカバーが10分の1くらいの値段だから、どうしても欲張ってしまうのだ。 写真の戦利品、全部でいくらだと思います? 言っていいのかなぁ・・・・・・・。 どうしようかなぁ・・・・・・。 じゃ、内緒で・・・・・・、 「2000円。」 ね~♪ だもん、買っちゃうでしょ~?(笑) 作家さんたちは、みんな大変な労力を使って作品を産み出しているわけだから、申し訳ない気もするのだけれど、これをきっかけに読み始めることもあるのは事実。 1800円出して、初めての作家さんを読んでみようと思わないけど、とりあえず今回買って読んだら面白かった、という人もいたし。そして、本屋に行って目に入るようになったしね。 だから、決して損ではないと思いますよ。 (て、誰に言ってんだ? (笑) そう、作家さんたちに、です。) 激安大好き! の方、ぽちっをお願いします。ありがとう~♪ \(^o^)/ ↓ ↓ ↓ 人気ブログランキングへ
すでに発売されている10月号です。
あまり私はこの手の本を買いませんが、 「今月号は “好色時代小説特集” なので」 というのはウソウソ。 稲葉稔さんの作品があるので買ったんざんす。 ![]() 96ページから109ページまでの13ページのために、880円はどうなの? と思ったのですが、宇江佐真理さんの作品も好きだし、他の作家さんを読んでみる良い機会だとも思いました。 結果としては、思ったよりも読み応えのある本だという印象です。 でもやっぱり、毎月購入するかどうかは、好きな作家さんの作品があるかどうか、でしょうね・・・・。 俳優さんなどは、テレビや舞台で見かけてファンになるというのが一般的だから、まずはテレビや舞台に出演することが先決になるでしょうが、小説家となるとその人の作品を読んでもらうことが先決ですものね。 しかも、星の数ほどある本の中から目に付く、というのも、考えてみれば奇跡的な出会いといえます。 そういう意味では、いろいろな作家さんを味見できるこのような月刊誌はいいのかもしれない、と思います。 ましてや、今月号は「H話特集」・・・・。 クックック・・・・、我ながら古い表現でした。 セックスほど、その人を赤裸々にするものはないと思っています。 小説の中のセックス描写も、その作家の人物が浮き彫りにされるような感じがします。 別に「技巧的」にどうのこうのとはいいませんが、 「へぇ、この人、足の指をしゃぶるのが好きなのかしら?・・・・・・ げぇ!」 みたいに、その人がセックスをどう位置付けているのか、とかそれに対する執拗さ、みたいのを感じますね。 通常でも、別にその男性と関係を持たなくても、その男性の行動や食べ物の好みなどで、その人がどんなセックスをするのか、だいたい見当がつきます。 で、あまりハズレません。 おいおい、そんなに自信を持てるほど経験してきたのかい? と言われそうですが・・・・・その答えはさておき、たぶん、前世も含めて魂のDNAが記憶しているような感覚があります。 大体、ビデオにしても小説にしても、男性というものは、勘違いしていることが多いんじゃないのぉ? と思いますわ、ほんまに。 この行為こそ、「KY」は大切な要素だと思いますよ。 (注: この場合、「空気が読めない」じゃないくて、「呼吸が読めない」です。) 私の友人で 「だいたい片手(5人)だったら一般的だと思うけど、両手(10人)というのは多過ぎるんじゃないの・・・・?」 といった人がいます。 さて、どうなのでしょうか? どう思います? 日本の歴史を考えるに、女はいつの時代も「性のはけ口扱い」されてきたように感じます。 現代に生きる私にとっては、顔も知らずに結婚するとか、見合いさえもおぞましく思える部分があります。 しかし近年の戦争においても、戦国の世においても、敗戦国の女は当然のように強姦されたり、家畜のように弄ばれて殺されることは多々あったのだということが分かります。 しかしセックスの本当の恐さを知っていたならば、そういうことは出来ないだろうと思うのです。 人間が肉体を持っている時に一番強力なコミュニケーションになるもので、その行為によってお互いの全ての情報が交流すると思うのですね。 だから無闇に数をこなすと、「雑魂」になると私は感じています。 「(やたらに数が多いと)お腹のオーラが黒いんです」 と江原さんも仰っていましたね。・・・・・・ 安倍晴明の話でも、不老の比丘尼が何十年か(30年?)に一度、邪を払わないとならないというのがあります。 この比丘尼は、男性に愛を注ぐという想いで何人も男性と寝ているわけです。 比丘尼は男性に「愛」を込めるので、彼女と寝た男性は癒されていきますが、性のはけ口として寝る男性からは「邪」を受けることになるということなのでしょう。 祈祷の際には、邪が大蛇となって比丘尼の体から出て行くのです。 これは一つの例えだと思いますが、相手の男性(女性)からいろいろなものが入ってくる、というのは確かであるように思います。 小説を読みながら、 (自分がこの主人公だったら・・・・・) と意識するまでもなく、自然に成りきって読んでいることが多いのですが、家族が食べていけないからと娘を売っていた時代、私が女郎になったら早死にしているだろうと思います。 きっと前世では、そういう時代も経ていると思いますが・・・・・・・。 『隠売女』は、女郎屋の話です。 お正は新入りの女郎と話している時に、3回しか会っていない客の一人をふと思い出しました。 たった3回の出会いなのに彼女の恋心と情念が燃焼し、年月とともに諦めて記憶の隅に追いやって来た男性がいました。 ある日、流人船の中にその男に酷似している人を見つけます。 囚人で送られたのであれば、もう二度と会えないと、一抹の寂しさを感じます。 しかし数日後、ひょんなことから子どもを連れて楽しそうなその男を見かけるのです。 お正はその男と目が合いますが、その男は彼女を忘れています。 ※ 百鬼丸さんの挿絵もいいよぉ~♪ “数多といる隠売女のひとりを買ったことなど、とうの昔に忘れ去っているのだ・・・・。 だからといって惜しくも、また気落ちすることもなかった。”そして、 「幸せそうで何よりです」 と深々とその男の背中にお辞儀をするのでした。 私は、こんなに複雑な想いで胸が一杯になったことは久しくありませんでした。 どんなに苦しんだ相手であっても、結局その人の幸せを願うことが「愛」であるし、心底そう思えれば、自分をも昇華して浄化させると思うのですが、この短編という限られた字数の中で、お正の心の経緯についていくのに、少々時間が足りなかったという感じがしました・・・・・。 そして読後じっくり考えてみるに、・・・・・ 何年も経った時間の経過の中で、忘却の彼方に押しやり封印した頃には、 「もう今更会ってもねぇ・・・・・」 と、いう心境に到っていたのだろうと想像できます。 一度終わった男や、一度自分の中で「×」が出た男とは、ゼッタイに「もう一度」はないからね。 (私の場合だけど) それに彼女の職業環境も想像の域を越えないから、世の中や男に対する考え方も、実感としてつかみきれない部分はあるんだろうなぁ、と思います。 どうも、気になる人物に出会うと(芝居でも、小説でも、もちろん実生活の中でも)、私はその人との違和感を解明すべく、その人の生い立ちから何から、あれこれ分析したくなるのです。 そして、やっぱり奥が深くて 「どうして?」 と好奇心を駆り立ててくれる男を、追っかけたくなってしまうんですねぇ・・・・・・。 困ったもんだ・・・・・。 ランキングに参加しています。応援のぽちっをお願いします。ありがとう~♪ \(^o^)/ ↓ ↓ ↓ 人気ブログランキングへ
漢字では「夕間暮れ」と書くのだそうです。
ちょうど、こんな感じの月ではないだろうか・・・・・という写真をアップします。 ※2007.9.22. 18:20頃 ![]() 私は昔から、夕暮れになると意味も無く、不安や寂しさを感じることが多々ありました。 ある先生から、 「夕暮れというのは、ちょうどいろいろな気が出入りする時で不安定になるからね」 と言われ、妙に納得したことを覚えています。 だから「夕まぐれ」というのは、「気まぐれ」や、“魔”が入るという意味で「夕魔暮れ」かと思いました。 私の愛読している稲葉稔氏のシリーズは、最近なんだか似たような設定、つまり「悪を成敗する危険な仕事をしながら、家では明るくて主人公を心配する恋女房(?)タイプの女性が世話をする」というパターンになっていて、ちょっと私の中のテンションが下がりつつありました。 第一に、話が混同しやすいし、第二に、男性にとっては「理想的」なのかもしれないこの手の女性は、ちょっと未熟な感じがして、うっとうしい・・・・。(個人的な主観ですが) 今回の 『夕まぐれの月』 (稲葉稔著 双葉社)は、ちょっと違います。 胸を突かれるような場面もあれば、主人公の平四郎が女々しく感じる部分もありますが、かえってそれがリアリティを増しています。 男が(女も)、命賭けで危険を伴う仕事に取り組もうとしたら、守るものがあっては全力を注げないのではないか。・・・・ と、私は思います。 これはシリーズもので今回は二巻目になりますが、今回分だけでも読み応えを感じることが出来ます。 お勧めです。 ランキングに参加しています。応援のぽちっをお願いします。ありがとう~♪ \(^o^)/ ↓ ↓ ↓ 人気ブログランキングへ
やっと、今年初の新刊が出ましたね~。
12日発売というので、12日の朝仕事前に最寄駅の本屋に飛び込んで手に入れました。 ![]() 本屋の店員さん、まだ仕入れた本を並べる前で、私が 「今日発売だから、この箱の中だと思うんですけど・・・・・」 と指さすと、目を丸くして渡してくれました。 (へへっ、内心驚いてる顔だぜ・・・) 基本的に、私は人をビックリさせるのが好きなのです。 それはともかく、この『うらぶれ侍』はシリーズの四作品目になります。 主人公のうらぶれた侍は、荒金菊之助。 この荒金菊之助という名前は、作家の飲み友だちだった素敵なご老人の本名だそうです。 その方は近年亡くなりましたが、きっとあちら側からこのシリーズを応援しているのだろうと思います。 増刷がかかるほどの売れ行きですからねぇ・・・・。 そして表紙が、今回は「半七写真印刷」となっており、お風呂の中で読んでもフニャフニャにならない装丁です。 何を隠そう(別に隠しておりませんが)、私はゆっくりお風呂に浸かっての読書が大好きです。 ペットボトルの水を持ち込んでの半身浴だから、「美しくなりながら知性を磨く」という一石二鳥です。 しかし昨日は、この本をお風呂で「もう少し、もう少し・・・・」と、ついに最後まで読んでしまったら、、なんと、眩暈がするし、吐き気がするし、で異常に気持ち悪くなってしまい、お風呂のふたを閉めることも出来ないまま、バスローブだけをはおり頭にバスタオルを巻いたまま、一階のベッドの上に倒れこみました。 (セミが鳴いている・・・・・) 空耳まで聞こえる始末。 止められないほど「面白かった!」 ということです。 (^.^;) 包丁を研ぐことを商売にしている菊さんは、実は武士の息子。江戸時代の職業は世襲制だったから、「武士になりたい」「町人になりたい」という個人の希望は、ほとんど叶えられないのです。 しかし、武士であっても簡単に解雇されることもあり、そうなると浪人となって食っていくのも大変だったようで、どちらが良いのかわかりませんねぇ。 ちなみに恋愛に関しては、町人の方が自由に恋愛結婚がしやすかったように感じます。 大きな庄屋だったりすると、お家柄が障害になることもあったと思いますが。 武家に生まれると、ほぼ「親同士が決めた見合い」のようでしたから、夜の営みなども素晴らしさを知らずに死んでいった女性も多かったのだろうなぁ、と思いますね。(今も同じかもね) この菊さんの従兄弟の秀蔵は「眉目秀麗」と描かれており、私はこの秀蔵が登場してくると、以前TVで放映されていた『八丁堀・・・・』の村上弘明さんを想像してニヤリとしております。 今回ちょっと印象に残ったのは、「お前はなんのために生きているのだ」と秀蔵に言われた菊之助が、いつも気楽に「今」を生きているのに、珍しく真剣に内側に向かっている点です。 そのことも引き金になって、今まで憧れだった「お志津さん」の存在も、彼にとって重要な人になってきます。 ある子どもが誘拐され、若い女性がその子どもの家で殺されているところから、事件が展開します。 その誘拐された子どもは、実は赤ん坊のころに旗本・久松寿三郎宅から攫われたという過去があり、その時の責めを負わされた家臣の怨みと金と、久松の出世欲が複雑に絡み合います。 人間の心が、そういったものから解き放たれて「まっさら」になることの難しさは、今も昔も変わらないのだろうということを、つくづく感じさせられます。 そして、こうした事件が起きた時に、いかに物事を解決するか? 現代はさしずめ、裁判長が決断を下すのでしょうけれど、「何がもっとも大切なのか?」という答えを出す時、その答えを出した人間の真価を見るような気がします。 荒金さん、ちょっとカッコ良過ぎるんじゃないのぉ~? と思う場面もありますが、人間の本来はこうでなくてはならないだろう、と思えますねぇ。 しかし、菊さんのような人間ばかりだったら事件は起こらないでしょうから、 やはり、8割方の愚かな人間の中で菊さんが光り、物事の見方・考え方を学ぶ世の中になっているのでしょう。 次のシリーズ(5)では、菊之助さんはお志津さんと所帯を持つことになるのでしょうか♪ まぁね、所帯を持ったら持ったで良いことばかりではないから、私は『闇同心・朝比奈玄堂』シリーズ(コスミック文庫)の玄堂とおりんのような関係でもいいと思っているのですけどね・・・・・・。 しかしなぁ・・・・・・、菊さんいいなぁ。 「うらぶれ侍」でも剣の腕がたつから、ちゃんと金が稼げるもんなぁ。 私も、こういう・・・・いわゆる、気楽に毎日を楽しみながら時には実力が発揮される、っちゅう生活がいいんだよなぁ。 と、しょーもないことを考えながら、彼の「包丁研ぎ」や「剣の実力」が、私の何に相当するのか・・・? そこから辺から考えてみよう、と湯当たりしながら考えた一冊でした。 ランキングに参加しています。応援のぽちっをお願いします。ありがとう~♪ \(^o^)/ ↓ ↓ ↓ 人気ブログランキングへ
久しぶりの読書感想文である。
安部龍太郎著『恋七夜』(集英社出版)は、秀吉の時代が背景になっている。 北野大茶会で秀吉の暗殺計画と、芸子としてトップの地位を登り詰めている太夫と結師の恋が絡み合いながら、ドラマティックに展開していく。 ![]() 当時、「結師」という職業があった。 その頃は鍵が無く、紐を複雑に結び、花や動物など立体的な形に結って鍵の代用をしたらしい。 たとえ誰かがそれをほどいたとしても、再び同じように結ぶことはできず痕跡を残す。 特に毒をもられやすい抹茶をしまう時などに重宝されたようだ。 秀吉付きの宗及という茶人専属で、鬼役(毒味役)も兼ねていたのが結師の源四郎だ。 彼の華麗な指先の動きに太夫、富子は心を奪われる。 というよりも、彼の一挙手一投足の所作に魅入られたといってもいいと思う。 恋に落ちるとは、そういうことだ。 「なにが」とか「どこに」など関係ない。その人の“存在”そのものに惹かれるのだ。 これは、前世からの縁かもしれないとも思え、やはり意味があっての出会いなのだろうと私は思う。 太夫とはその花街を代表する芸子であり、奉納舞を任される巫女の役目も兼ねている。 また美貌のみならず、舞をはじめ芸事の技術、人間としての質なども選ばれる対象になるという。 そして、もちろん一番の稼ぎ手であるから、その花街全体を背負う責任も担うことになる。 北野大茶会では、全国から選りすぐりの太夫が集められ、舞を競うことになった。 どれほどのプレッシャーがあるのか、今の時代には分かりづらい部分もあるが、たとえば真夫(まぶ=恋人)を持つにも花街の有力者を集めて了解を得、披露を行うというしきたりがある。 また、お七夜参りというのがある。 七日に一度、夜明け前に北野天満宮にお参りをするもので、このお参りを七度繰り返すと願いが叶うと信じられていた。 しかし、お参りに行く間は一言も口をきいてはならない。 口を利かないように富子は榊の葉を加えて、水垢離を行った後白装束に着替え、白の水干に袴、烏帽子をつけて無地の扇を持って、北野天満宮を参拝するのだ。 そういう心身ともに厳しく課せられた中で、陰の存在として生きる源四郎に惹かれる。 読み進めるうちに、富子の生い立ちにも源四郎に繋がる要素があることを知るのだが、人間はみなそうやって、複雑で精密な“今世”というカリキュラムの中に生まれてくるのではないかと思える。 プライドが高かったり、どうしてもお金に走ったり、或いは逆に物欲よりも心を大切にしたりという人それぞれの特質に、多くの人は自分でも気づかずにいるし、それがどこからやって来ているのかわからない。 それ故に、「前世」や「見えない世界」、または「先祖」というものに興味がそそられるのではないだろうか。 人間はみな自分の「不透明」な部分を解明したいと思いつつ、生きているのではないだろうかと感じる。 私が富子にひどく同調したのは、彼女がこの世を「虚」と捉えている心だった。 太夫だから他の芸子とは破格の扱いであるし、彼女の人間的な熟成度も素晴らしいが、物質的には何不自由ない毎日を送っている。 しかし、彼女は「虚の世界」であることを悟っている。 それ故に、何が自分にとって一番必要であるか、「実」であるか、ということが明確になっている。 お金、物、地位、名誉、世間体、こういったものは「この世」で必要なものであるけれども、それらを手に入れるための「心」のプロセス(=心の葛藤?)が本当は大切なのではないか・・・・・・。 富子は源四郎を愛することによって、花街のしきたりを踏襲しつつも、自分が何者であるかを追及し、さらに源四郎の幸せを願いながらも愛に溺れることなく、自分に課せられた使命を全うしていく。 かなり昔・・・・、私が退院して療養生活をしていた頃、テレビでマザー・テレサの特集を観た。 いまなお私の中に強烈に残っている言葉がある。 「世の男女は結婚をするが、あなたたち(修道女たち)は“神”と結婚したのです」 それを聞いた途端、私は「世の中の結婚も本当はそうあるべきものなのだ」と思った。 物質的な理由で結婚している人々がほとんどだと思うが、相手が全てを失った時に愛することができないのならば、それは本当の結婚ではないだろうということ。 「そんなこと言っているから結婚できないんだよ」 とか 「そんな結婚、あるわけないよ」 と言われるのがオチだが、私は「結婚=結魂」だと思っているから、この世での“形態”にはあまり拘っていないのだ。 自分がその人を愛しているのか、いないのか? その人がホームレスになっても、植物人間になっても、その人のために生きていけるのか? 極論かもしれないが、出来うる限りの最悪の想像を働かせて、なおかつ「その人を愛している」と思えるならば、それが「結魂」なのではないかと今の私は思っている。 私は富子にそういう部分を感じて、一度読み終わった後も再び最初からページをめくり続けた。 クライマックスでの奉納舞では、俄かに空が暗くなり雷が鳴りだし、秀吉の暗殺と人々のざわめき、源四郎と富子の危機迫る状況が、まるで映画を見ているように頭の中に描き出された。 たしか、この作者の作品の中にはテレビドラマにもなったものがあったように記憶するが、ドラマティックな盛り上がりの書き方は「なるほど・・・・」と感じられる。その割りには、この物語の〆の一行に 「アレ?」(これで終り?) と物足りなさを感じてしまったのであるが・・・・・。 最後に、惹かれて手に取った表紙は、「装画 重要文化財 『豊公吉野花見図屏風』 細見美術館蔵」となっている。 ![]() 総じて、一読をお薦めします。 ランキングに参加しています。応援のぽちっをお願いします。ありがとう~♪ \(^o^)/ ↓ ↓ ↓ 人気ブログランキングへ
ここのところ、キネシオロジーの感動レポートが続いていたが、
今回は、久しぶりに「読書感想文」を書きたいと思う。 時代小説を読むようになったのは昨年からである。 ある新聞に「知的なオヤジは時代小説を好む」と載っていた。 ということは、 昨年あたりから私は「知的オヤジ」の仲間入りをしたことになるのだろうか。 主に江戸時代のものが多いが、読むにつれて「知的オヤジの気持ち」が分かるような気がしてきた。 江戸時代はなんとも楽しい。人情があるし、義理や忠誠心がバリバリに生きているし、男も今の日本男児よりもよっぽど男気があってタフな感じがする。 身体もきっと締まっていて「シャモ」のようだったんじゃないか、と想像する。 そもそも、その「知的オヤジ」の世界に私を引きずり込んだのは稲葉稔氏の作品である。(左のリンク参照) それ以来、読んでみたいと思う作家が芋づる式に増えている。 どれだけ時代小説に散財しているかしれない。でも、やめられない止まらない・・・・・・♪(カッパエビセン) 新刊の『うろこ雲』(光文社文庫 稲葉稔著)は、発売一週間で5000部の増刷となったそうだ。これは「研ぎ師 人情始末」のシリーズ三冊目になる。 最近知ったのだが、主人公の“荒金菊之助”はこの作家が「オトーサン」と慕っていた近所のお年寄りの名前だったということである。 「だった」と過去形なのは、最近この菊之助さんがお国替えをされた。 「増刷は、このオトーサンからのプレゼントだ」 と作者は述べているが、きっとそうに違いない・・・・・・・。 ということで、ようやく本題。 主人公の荒金菊之助はもともとは侍であった。 それが今は長屋で「研ぎ師」をしている。 しかし、家や身分がきっちり区分けされていたこの時代は、どの身分に生まれたかで教育が違うならば、身につく「品格」も明らかに違っていたようだ。 この菊之助からあまり物欲が感じられない。 金や名誉よりも気楽にのんびり暮らしていてぇんだ・・・・・という声が聞こえてくるような気がする。 正直者や弱いものが、腹黒いヤツらに苦しめられているのをほっておけない質(タチ)で、南町奉行所臨時廻り同心である従兄弟の横山秀蔵からも内心頼りにされている菊之助は、いつも事件に巻き込まれる。というより、事件が寄って来る。 仕事のできる人間のところには仕事があつまる、というところか。 個人的には、従兄弟の横山秀蔵に興味が引かれる。 “涼しげな目を細め、剃りたての顎をつるりとなで黒羽織の袖をひらりと返して、土間に立った。すらりと背が高いので・・・・・・” という描写を読んだだけでも食指はそそられてしまうよねぇ? (笑) (しかし、こういう男に惚れると痛い思いをするんだよなぁ・・・・・) なんて、あさってなことを考えながら読むのだが、泥沼の中を歩腹前進していくような菊之助が、やっぱり最後にはカッコ良く思えるのだ。 菊之助が密かに思いを寄せるのは「お志津さん」である。 お志津は同じ長屋で(ただし日当たりの良い棟だが)、子どもたちに手習いを教えている。 今のところ、お志津のチラリと覗く白い足首に心をときめかせる菊之助だが、一度は一緒に「おいしいもの」を食べに行っており、お志津からは、 「また行きたいですわ」 と誘われている。(♪) これもなんだか希望の光が感じられて楽しいのだ。 か~っ! 羨ましいねぇ~、菊やん! (こりゃ、オヤジのセリフだよ) あれ? 内容については何も書いてないじゃんか。・・・・・・ (^.^;) ま、犯人を追っていく話だからさ、タネ明かししちゃったら面白くないやね。 ただちょっと触れておくと、今回の面白いところは現代にもあるような詐欺事件を江戸物で扱っていることかな。 しかも「シワもなくなってつるつるのお肌になる化粧品“若美肌保水”」で稼ごうとする多くの人が金を騙し取られる、っていうんだから。 まさに、すぐそこにありそうな事件だ。 “若美肌保水”なんてネーミング、よく考えるよ。 と感心しつつ、 これじゃ買っちゃうよなぁ・・・・・・。 (え? 買わない?)(笑) そうそう「化粧屋」と書いて「けわいや」と読むんだよ。 知ってた? よく化粧が濃い女性を「ケバイ」っていうのはここから来ているのかなァ・・・・・? (違うか。) もう一つ面白かったのが「後妻討ち」。 これは「うわなりうち」と読むのさ、感情を後に残さない江戸時代の生活の知恵らしい。 詳しくは、この本を読んでくだされ。(笑) ま、とにかく今回も菊之助と次郎の掛け値無しの「熱い人情」と「貫く姿」がいい! 最後に、“夕陽に輝くうろこ雲が小判のようできれいだ”って二人で空を眺めるんだから。・・・ まさに、清濁によって「金」が美しくも醜くもなるという、人間の心を映し出すシーンのようだ。 知的中年になるための一冊に、是非おすすめしますよ♪ (☆☆☆☆☆) ランキングに参加しています。応援のぽちっをお願いします。ありがとう~♪ \(^o^)/ ↓ ↓ ↓ 人気ブログランキングへ < 前のページ次のページ >
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