Anriの日記:未分類
2016-11-22T12:40:42+09:00
anrianan
自然流心地良い生き方を模索して年中無休の創意工夫ライフ。自家菜園で無農薬野菜に挑戦する一方、シティライフも捨てられない。美しき時空間を求めて徒然なるままに綴る気まぐれ日記
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おナカさん、入院する
http://anrianan.exblog.jp/23626405/
2016-11-21T17:57:00+09:00
2016-11-22T12:40:42+09:00
2016-11-19T07:32:01+09:00
anrianan
未分類
(※下の写真は4月7日、桜の下で)
前回の「散骨葬」で述べた通り、ぷかり埠頭の待合室で嘔吐した母は乗船できず、食事会にももちろん参加できず、両脇から抱きかかえられるようにして車に戻りました。座っていることも辛そうで、家に到着して車から降りるときにも嘔吐。
声がよく出て、よく歩いて、よく食べてよくしゃべっていたおナカさんのこんな姿を見るのは初めてでした。
知人のお医者さんに相談し、夜になって救急医療センターへ連れて行きました。
X線を撮り、点滴を2時間くらいかけてゆっくり行い、帰宅は午前零時。特に異常なしとのことでした。
真夜中によこすか海岸通りを走りながら、隣に座っているおナカさんを見ると、ちんまりと一回り小さくなったように感じました。
翌5月4日、再び高熱が出たので、もう一度救急医療センターへ。
しかし行う処置は、昨日と同じ点滴のみ。
最近、腸からの風邪が流行っているので、とのことでした。けれど、何もないのに高熱が出るというのは気になるなぁ・・・との医師のつぶやきに私も大きくうなづきました。
「共済病院へ紹介状を書きましょうか?」
と聞かれたので、
「共済病院へは肝臓の方で掛かっているので行ってみます」
と答えて帰ってきました。
5月5日の朝になると37℃台に下がりますが、昼ごろ再び39℃近くに。
ゴールデンウィークですし、共済病院の救急外来にどう手続きをしたらいいのか分からず、電話をしてみますが留守電。
すると、ちょうど遊びに来ていた友人が、共済の救急外来窓口に行ってみると言ってくれます。
40分ほど後、その友人から電話が来ました。
「電話をして留守電になっているけど、ずっとそのままでいるとつながるらしいから。すぐに電話してみて」
なんてことだ、留守電になっていたら誰だって通じないと切ってしまうじゃないか!
さてそれから、電話をかけて救急外来窓口に来るように言われたので、母を車に乗せて行きました。
歩くのも辛そうになっていたので、車を降りると移動はすべて車椅子。
ピンクのロングガウンに包まれた母は疲れたようでしたが、採血、レントゲン、そして尿検査のときは自分の足でトイレで用を足すことができました。
結果は、特に入院するような緊急性はありません、とのこと。
たまたまその時は熱が下がっており、おナカさんはニコニコしながらお医者さんと何やらふにゃふにゃおしゃべりをしていたので、私も安心しました。
ところが、翌日また高熱。
そんな状態が、6日から11日まで繰り返されました。
(※5月10日)
でもあれだけ検査してもらって内科では特に異常がないというのだから、あとは腰痛の方か・・・・・
と思った私は、整形外科に母を連れて行くことにしました。11日のことです。
人から聞いたりネットで調べて、家から割合近くにある●島整形外科へ行きましたが、ここは非常に混んでいます。
評判がいいから仕方ないと思うのですが、車椅子に乗せて待合室で待っているおナカさんを見ると、とても辛そうでした。
ようやく順番が来て、お決まりの採血、レントゲンなどを行い、ついでに骨密度も調べて見ましょう、などと言われて調べて見れば、若い人の51%ほどで骨がスカスカだといいます。
「骨密度の薬と痛み止めをあげますからね、あとはリハビリに通ってがんばりましょう」
と医者に優しく言われ、おナカさんも、はい、がんばります! などと久しぶりに元気が出ていました。
「ああ、今日はホントーに来てよかったぁ~。 リハビリがんばるから。い~ま、見ててごらん!」
ああ、よかった。 ここなら、いずれおナカさん一人でも車でリハビリに通うことができそうです。
その後も微熱はありましたが、本人はたまに起きて、日常生活を営むことはできました。
(※5月13日 ちょっとやつれたようではありますが)
状況が急変したのは、10日後の5月21日でした。
その日は弟と友人が訪れることになっていました。
その前に、採血の結果が出たというので受診して聞いておいた方がよいと思い、私は朝7時半に家を飛び出し、母の診察券を出しに。
医院につくと、すでに7人の人が並んでいるじゃないかぁ!
8時15分から診察券を受け付け、9時におナカさんを連れて再び●島整形外科へ行くだけです。
ところが、おナカさんはベッドから起き上がることができません。
両足の付け根をさすりながら、腰も背中も触るだけで
「痛い! 痛い!」
時間が迫っている私は焦って、叱りながら
「どうするのっ! 行かないのっ?!」
「行くよ・・・・ 痛いっ! ・・・・・・そんな言い方しなくたって・・・自分で起きるよ、待ってな・・・」
「早く起きて! 間に合わなくなる!」
今から思えば、本当に可愛そうなことをしました。
全身激痛だったろうと知るのは、もっとずっと後になってからのことです。
車に乗せて行きましたが、突然、母のろれつが回らなくなっていることに気づきます。
そして目の視点も定まらないようでボーっとしています。
どーしちゃったんだろう・・・・・。
何やら得体の知れない不安に襲われ、とんでもないことが起こっているような気がしました。
医者の診断によると、腰の痛みは長く寝ていたことによる圧迫骨折。 とはいっても、レントゲンでは骨が折れているようには見えませんでした。背骨の間が狭くなっていたり、くっついていたりすることは分かりました。
また、脳神経外科に行くことも勧められましたが、一番驚いたことは、
「これは内臓がボロボロだな、これじゃ薬はあげられません。内臓に影響が大きすぎますから・・・」
ジョーダンじゃないよ!
採血したのは10日前だよ?! その10日前の採血結果を見ながら、内臓がぼろぼろだから薬は服用できませんだって? じゃ、薬を飲んでいたこの10日間はどうなるのさっ!
採血したらすぐに結果を出して、薬を処方するんじゃないの?!
おナカさんは帰りの車の中、う~う~とうめきっぱなしでした。
「オカーサン、ずっと唸っているね」
と言うと、
「痛くて唸らずにはいられない・・・・」
「そんなに痛いの?」
私はまだしっかりと事の重大さを認識していませんでした・・・・・・
おナカさんがこんな状態でしたが、午後から予定通り、弟と友人と三人でバーベキューをやることに。
弟が母に食べさせる肉を買ってきたということもあって決行したのですが、おナカさんは外のテラスに出ないというので窓際の椅子に座ることに。
ふとおナカさんを見ると、顔をテーブルに伏せています。 弟が、
「あれ? 漏らしてるんじゃないの?」
え? と思って母の足下をみると、廊下が濡れています。
途端、何か大変な事態が起きていることを感じながら雑巾で拭き取り、下着とズボンを替えさせるのですが、その間中おナカさんは、
「大丈夫・・・・・・大丈夫・・・・・・」
と、うわ言のように言い続け、私は訳も分からず涙が止まらなくなりました。
とっさにクック! クック! と呼ぶと、クックが母のベッドに飛び乗って、母の顔を覗き込んでいました。
「救急車を呼ぶよ?」
と言うと、大丈夫大丈夫と繰り返しましたが、
「オカーサンが死んだら、私とクックは生きていけないよっ!」
泣きながら叫ぶと、おナカさんは閉じていた目を開いて私をジッと見つめ、首をコクンと縦に振りました。
それからのことは、今となっては夢の中のことのようです。
弟が救急車を誘導するため道路に出てゆき、私は急いで万一の入院に備えて母のパジャマや財布などを大きなバックに入れて一緒に救急車に乗り込みました。閉まる扉の向こうに、友人にリードを引かれたクックが、凝然と立ち尽くすようにこちらを見ている姿が今でも目に焼きついています。
4時半ごろ救急車で運ばれ、夜10時半ごろ検査が終わって呼ばれました。
「今日は入院です。 どーしてこうなっちゃったんですか?」
どーしてって、こっちが聞きたいわ! と内心私は驚きとともに腹が立っていました。
仕事に行っている間、クックをどうしたらいいんだろう・・・・・・どのくらい入院するんだろう・・・・・・どのくらい悪いんだろう・・・・・・
とめどなくさまざまな不安と心配が頭を駆け巡り、同時にしょーがないという諦めもあり、ガラガラとストレッチャーで運ばれていくおナカさんに
「入院だって」
と告げると、えーっ! きょとんとした顔で私を見ていました。
とにかくどうにもならない疲労感でいっぱいの私は、病棟で書き込む書類にもげっそりしてしまい、
「もう今日は書けないので、明日でいいですか?」
とつっけんどんに尋ねると、浅田真央ちゃんがあられちゃん風メガネをかけたようなかわいい看護師さんは、
「あ、じゃ、ちょっとここだけ書いてもらってもいいですか?」
なんともさり気なく、必要な手続きだけは淡々と進めようと試みる姿勢に、なんだろう・・・プロフェッショナルというか、優しさというか、彼女の人間力を感じ、ふと私の気も緩みました。 悪かったな・・・・・・
心がちょっと落ち着ついてすべてを書き込み終わると、彼女に母の今日に至った経過を簡単に話しておきたくなりました。
「毎朝毎晩犬の散歩をして、社交ダンスにも週2回通って元気だった母が、なぜこんなことになったのか・・・」
と漏らしたとたん、涙もこぼれてきました。
彼女の優しい瞳を見つめながら、母を託してみよう・・・・・・と思ったのです。
5月21日午後11時半に救急外来の出口から出て、私の長い長い一日が終わりました。
でもある意味で、長い長い闘いの始まりでもありました・・・・・・
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