キュウリが、支柱のてっぺんに到達してしまいました。
もっと長い支柱を立てなかった私が悪いのですが、この先このキュウリはどういう体勢をとるのか、非常に興味深い毎日です。
黄色い花が鮮やかに陽の光を受けて、雑然とした農園の中でもひと際輝いて見えるのですが、肝心のきゅうりは一向になりません。
実が付きにくい品種でしょうか。・・・・・・
いやぁ、そんなことはないでしょう。
だって、これは買った苗なんですから。
いや、売っている苗が必ずしも「良質」とは限りません。
そりゃそうだよなぁ。・・・・・
そんな自問自答を繰り返しながら様子を見守るばかりです。
かたや種から芽を出したキュウリは、このような状態です。
背丈25cmほど。
しかし葉っぱがしっかりして色も濃い。
こんなに小さいのに、すでに花をつけているのが気になる所です。
(これで成長が止まってしまうのでしょうか・・・・・・。)
鉢の中で芽を出して直植えに移したものですが、一番日当たりが良い場所のキュウリで、他の苗と比べるとやはり成長が一番良好なようです。
太陽の恵みは有り難いです・・・・・・。
さて、「てっぺんに登りつめた」つながりで、この人。
先日の新聞の記事を読んで、取り寄せてしまいました。
Amazonの中古本なので341円。
ふふふ、1円という半端がこの本の値段です。
なんだか本を書く方々には、この中古本の値段設定には気の毒に思う反面、私にも買える値段ということでは有り難い中古本システムです。
私はこの人のお金に対する強欲さ、のようなものがつくづく欠けていると思うのです。
強欲さというと悪いことのように感じますが、欠落している私には、この世で生きていく以上、とても必要なことに思えます。
誰だって貧乏人とは付き合いたくないでしょうし、ショッピングをしたいでしょうし、おいしい物を食べたいし。
心がワクワクするようなことをしようとすると、何でもお金が必要になってきます。
友だちと会うのだって交通費がないと行けない、お茶も飲めない、ランチもできない。
知識を得ようとしても本を買えない、講習料を払えない、学校に通えない。
お金は自分をよりこの世で活用させるためのエネルギーのようにも感じます。
お金があるから寄ってくる人もいるけれど、お金がないと自然に友達とも会えなくなってくる。
類は友を呼ぶというけれど、生活水準が違うと同等に付き合うことができなくなってくる。
そういうことをヒシヒシと感じている私は、彼の思考をもっと学びたい気持ちなのです。
以前から、癖はあるけど頭のいい彼を嫌いではないし、てっぺんに登ってドッカーン! と落とされた彼のその後は、とても興味深いです。
私も“てっぺんからドッカーン!”を経験しましたが、そこから這い上がることは未だ出来ていません。
もしお金があったら、もっと容易に軌道修正ができているのではないだろうか・・・・・と思います。
「経験は宝」っていうけど、これ、本当かなぁ・・・・・・・。
宝の持ち腐れ、ってこともあるからなぁ。
それを恐れる現在の私です。
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