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敗戦記念日につれづれ思うこと
今日は、終戦記念日でなくて、敗戦記念日である。


数年前の8月15日、初の靖国参拝で神社を訪れた時のこと。
仕事に行く前に寄っていこう、と早起きして出たが、鳥居の前で唖然と立ちすくんだ。
多くの右翼団体やデモ隊など、まるで暴動が始まるのではないかと感じさせる騒然たる雰囲気だった。

靖国神社については、A級戦犯のことや英霊が祀られていることなど、私にとっては知らなすぎる雑多の問題が混在しているように感じるが、どちらにしても、戦争で命を落としていった人間に手を合わせることがいけないことだろうか?

そもそも、すでに戦争があったことさえ風化されそうな現在があり、アメリカが敵国だったことさえ知らない馬鹿者・・・若者がいるそうではないか。
生き残ったことを恥じて口を閉ざしてきたお年寄りたちには、是非「自分が体験した真実を語り残して欲しい」と願う。

だいたい、生き残ったことがなぜ恥なのだ?
という21世紀の現代なのだ。
その時代時代の教育や躾(あるいは洗脳?)によって、人間形成が異なってくると思うが、いつの時代でも、人間として感じたことや考えたことは事実であって、それを歴史として残していくことが大切なのではないかと思う。

8月15日に戦争が終わったけれど、日本は負けたのだ。日本が四分割されて、4つの国の植民地になっていたかもしれないのだ。日本語がなくなっていたかもしれないのだ。
体験した人たちが真実を語り残してくれなければ、中国や韓国が都合のよい要求を押しつけてきても、応戦できないではないか。
日本人が日本人らしく凜として生きるためには、多くの体験を多くの人が共有し、時代とともに見直していく必要があるのではないだろうか。


たまに両親の元に帰って、酒などを飲みながら、私は彼らの昔の体験談を聴くことにしている。
言ってみれば彼らは歴史の生き証人だから、どんな体験をしたのか、どんな思いを味わったのかを聞いていると、その時代の背景が垣間見えたり、初めて聞くことが飛び出す。
そして、人間の歴史の深さを思い知る。

一人の人間がそういう体験のヒダを重ねて、今のこの人がいると感じると、どーしようもない頑固オヤジでも何かが腑に落ちる。そして、人間が体験した「感情」の重さを身に染みる。



一度鹿児島の知覧を訪れた時、特攻隊員が死に飛び立つまでの間過ごした兵舎に入って、両腕の毛穴が開くようなものを感じた。
「生きたい」
「死にたくない」
という感情が本音だったのではないか・・・・・・。
その感情が渦を巻いて残っている、ような気さえした。

一人一人の兵隊には、家族がいる。友人がいる。恋人がいる。
一人戦死するごとに、悲しみが網の目のように、日本全土を覆っていったのではないだろうか。
私は自衛隊員の弟がいるから、彼が死にゆく立場に立たされたら・・・・と考えると、想像できる。そして、自爆テロでささやかな反撃をするかもしれない。

東京はじめ、多くの都市が焼き払われた。
父は横浜で大空襲に遭い、十代の彼は祖母が仕事で使っていたミシンの頭を担いで逃げたらしい。
頭上を飛ぶ飛行機は、窓から操縦席に座る米国人の顔が判明できるほど、近距離の低空飛行だったとか。
「奴らは、にやりと笑っていた」
と、父が吐き捨てるに呟いた言葉を聞いて、私はぞっと身の毛がよだった。
それが、戦争なのだ。


その頃を生きた人々は、大なり小なり似たような体験をもっているのではないかと思う。
今その人たちは「後期高齢者」とくくられて、中には年金を横領され、健康でない者は死ね、といわんばかりの状況に置かれている。


そういう扱いを受ける老人たちを見ていれば、若者だって将来に不安を抱いてもしょーがない。・・・・・・

戦死した人々は、今の日本を見てどういう気持ちだろうか?・・・・・


<おまけ>
神風特攻隊の動画です。興味がある方はご覧下さい。
http://jp.youtube.com/watch?v=iKbuy7bPYlo&feature=related
by anrianan | 2008-08-15 14:58 | ■とりあえず日記
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