名もない雑草の花・・・・・・と書き出して、ふと考える。
名はあるのだ、きっと。
ただ、その名を私が知らないだけ。
抜かれても、刈られても、踏まれても、陽に向かって伸びる植物に、時として心うたれる。
なるべく、すべての生命をあるがままに生かしたいと思うのだけど、そうするとある種の植物ばかりが伸びて鬱そうとしてしまう。小さな草花は絶える。
だから、私はほんの少し手を加えて、なるべく多くの種類の植物が育つようにして、バランスの良い自然体系を維持したいと思う。
でも、
「ほんの少し手を加える」
という権限を持つ私の意思が大きく反映される。
人間は、どの生物よりも一番偉い、わけではないと思う。
動物や植物の生命をいただいて、人間も生きていられる。
空気や水も、自然のバランスが崩れれば、今までのように「何気なく」取り入れることができなくなる。
どんな僅かな権限でもそれを手にした時、謙虚に、慎重に、真摯に扱わなければ、それが後々大きく波及していく恐ろしさを、忘れてはならないと自分に言い聞かせる。
自然と人間の関係、
親と子の関係、
夫婦や恋人の関係、
上司と部下の関係、
教えるもの(先生)と教わるもの(生徒)の関係、
すべてに通じているように思える。
どちらかが権威や所有権のようなものを振りかざした時、同じ“生命”を持つもの同士のバランスは崩れる。
ほんとに素晴らしい人は、その人自身が「あるがまま」で、誰に対しても平等だよね。
芸術家や自分の才能で生きている人に、そういう人が多いような気がする。
けれど、会社の組織の中にもそういう人はいる。
共通しているのは、みんな優秀な人だということ。「成績」や「学歴」のことではない。
“本当に大切なもの” や本物の智慧を持っているように感じる。
有名でない人にも、もちろんたくさんいる。
そういう人たちは「無名」と称されるのかもしれないけど、誰にも名前は有る。
なんだか、「名もない雑草」と同じじゃないか・・・・・・。