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老後のような生活
つくづく感じることが、これである。

そもそも私は、20代終りのアメリカ冒険遊学からの帰国機上で、
(私の人生は終った・・・・・・。 これからは余生だ)
との思いを、雲のじゅうたんを眺めながら噛み締めたことを覚えている。

そして、2回目。
“助からない”はずだった結核から回復して、自宅で療養している時、
(私は道端の石ほども世の中の役になっていない。 生きている価値が無い)
と、庭の草を抜きながらしみじみ考える。

そして、3回目。 
・・・・・は、まだであるが、最近の自分を考えるに、
(まるで、老後のような生活をしている)
と、ふと感じた。 今朝のこと。

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昨日は、広いがまとまりのない庭を眺めながら、「山椒」と「バジル」と「パセリ」の居住地を決めて植えた。

山椒は、ずっと長いこと欲しかった。
山椒の実がなったら、“ちりめん山椒”の佃煮を作りたいのだ。
バジルはトマトと一緒に、マルゲリータを作って乗っけるぞぉ♪
パセリは・・・・なんでも使えるからね!

そんなことを嬉々として考えながら植えていたら、
(なんだ、あの頑固ジーヤと(私は)同じことをやってるじゃないか・・・・。)
と、がっくりきた。

「蛙の子はカエル」と言われるたびに、
「蛙の子はオタマジャクシだよ!」
と屁理屈を返していたが・・・・・。

頑固ジーヤのマモル君は、そもそも
「手打ち蕎麦を、粉から作りたい」
という夢のために、遠く北国の僻地に農地を買った。
そして、ほんとにそばの実を収穫し、挽きたてのそば粉で手打ち蕎麦を作っている。

そりゃ、偉いと思うよ。 ・・・・・おいしいし。
でも、
(あたしゃヤダね。 都会の方が好きだし、もっとやりたいことがあるんだよ)
と思っている。

なのに・・・・・、
その “やりたいこと” が見つからず、“次にやりたいこと” をやって、それなりに満足している。



どーしたって、どう考えたって、時間が経ったって、
「一番やりたいことは演劇」

だけど、こればっかりは、今更もう一度昔のように人生を賭けることはできない。
大きなチャンスを逃した時点で、私には運が無かったのだ、という思いが繰り返し湧き上がってくる。


基本的に、やりたいことはすべてやって来た、と感じている。
「夢」は「現実」にしたいと思うから、そういう時は自分を崖のぎりぎりまで追い込む。
人と同じことをやっていたらそれまで。 それ以上のことをやれる人間ほどチャンスが来る、と思っているから、私は「これだ!」と思ったことは命懸けで突っ走ってきた。
しかし、突っ走るにもエネルギーが必要だ。
人間には「持ち分」のようなものがあるのではないだろうか。
それは、ただでさえ年齢とともに減少して来るのに、私は二回もすり切れるようにエンジンをふかしたものだから、これ以上ふかそうにも残量が足りない・・・・という気がする。

生活をして行く=自分を養っていく、ということは生きることの基本だと「大人の考え」に到達してしまったから、いまさら青春に留まることもできない。

「価値があるから生きるのではなく、生き抜くことに価値がある」
と江原さんはいうけれどさ。 やっぱり、人の役に立っていたり、夢があるから生きる気力も出るんだと思うよ。

 




         結局、私は自分の人生をうまく演出できていないのだ・・・・・・。
by anrianan | 2007-05-23 08:28 | ■とりあえず日記
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