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正負の法則
美輪明宏さんの本にありますね、このタイトル。
最近日常の中で、よくコレを感じます。

「楽ありゃ苦あり」「光と闇」「山あり谷あり」・・・・・・。
正負の法則_d0046294_104812.jpg人生いろいろ、言い方いろいろ、男もいろいろ・・・・・・・? あれ? 
言ったのは島倉千代子だっけ? 小泉前首相だっけ?

ま、それはともかく、今日(2月3日)は年に一度の節分祭。
愛知県幸田町にある貴嶺宮(キレイグウ)に行ってきました。
前回のように、せっかく割引で買った新幹線のチケットを忘れないように、
今回は何度も財布をチェック!
そして、この貴嶺宮に行くたびに何かしか、一番といえるくらいに大切な「物」をなくしたり落としたりする私は、今回は注意に注意を重ねましたよ。

それだけ、貴嶺宮から帰ってくる時は気持ちが良いということで、
何か体が軽くなったような、言ってみれば浄化されたような気分になるのです。
その分一番大切なものをなくすのですねぇ、きっと。
差し引きゼロ・・・・・・、が基本なのではないでしょうか。(?)
というより、やはり厄祓いなのかな、とも思います。
正負の法則_d0046294_10492237.jpgそうは言っても、やっぱりなくした後は落ち込みますけどね。


んなもんだから、今日は
「前方チェ~ック! 後方チェ~ック! 右見て、左見て、また右見て、はい、OK!」
てな具合で一日が無事に過ぎようとしていました。


で、あの例のバカっぽい白いコートを着て行ってきたのですけどね。
あのコートのお陰で
「ブログを読んでます」
っていう人が声をかけてくれて、その人の知人の方が駅まで車に乗せてくれました。

(おお~! ありがたい! 予定通りの電車に間に合うぞ♪)
と駅のホームに立ったら、思い出しました。
「替え」の靴を手に持っていないことを! ああ! ・・・ガ~ン!!


今日はウォーキングシューズを履いて家を出て、節分祭の間だけヒールに替えていたのでした。
そして余りに足が痛いので、履き替えようと手元を見たら

       ・・・・・・無い!

そうです、送ってくれた方の車の中に忘れてきたのでした。
何しろ、電車に間に合うようにと慌てまくっていましたし、荷物を両手に抱えていましたから。
           とほほ・・・・・

でも、こんなことぐらい・・・・・。
毛皮の襟巻きを落としたり、水晶の手作りネックレスを落としたことを考えれば、どってことない、どってことない!
前向きに自分を励ましました。



正負の法則_d0046294_10511999.jpgそして、横浜に着いて京急の駅を上がる時のこと。

  ヴォ~! ヴォォ~! ヴォヴォォ~!

と、まるで船の汽笛のような大音響が鳴り、何やら電車の急ブレーキらしき気配。
私は本能的にエレベーターを駆け上っていましたね。何があったのかと思ってさ。

他の人たちも一斉にホームを見上げていたし、ホームの人たちはざわつくというよりは、異常な緊迫感で凍りついているように見えました。

まさに、まさに、まさに!
エレベーターを駆け上ったその目の前に電車の先頭があり、もちろんそこは止まる定位置ではありません。

 誰かが轢かれた・・・・・・・。 落ちた・・・・・?


後から後からホームに上がってくる人に押されながらも、人々は無言で全体の空気が止まっていました。
私が上がったのは、落ちた直後のようです。
ほんの一瞬前に、その現場をホームに居た人たちは見ていたわけです。

運転手と係員が途方にくれながら、車両の下を盛んに覗いたり、ホームに上がったりしています。
そのうちに10人以上の京急の係員達が走りつけ、タンカーを持ってきた人も居て、電車の下から人が運ばれていきました。

この時、初めて怒りを感じましたね。
だってさ、その血相を変えて救出しようとしている係員たちの側で、携帯電話したり、携帯メールしたり、しかも笑顔でだよっ!
こういう時ほど「笑顔」が似つかわしくない場面はないですよ。
奴らは、典型的なサラリーマンの格好したそこら辺のオヤジだった!
デリカシーってもんがないのかね。

アンタたちみたいのが子どもを育てるから、ろくな社会にならないんじゃないのっ?!
大人の肉体を来た子どもの姿をみるようで、なんだかムカついていた。
私は妄想の中で、殴ってやったね。
正負の法則_d0046294_10523152.jpg

救出された人が運ばれていく時、人の頭で運ばれる人を見ることは出来ませんでしたが、
(死んだのだろうか? ケガなのだろうか?)
と気になっていると、
「おいっ! しっかりしろ! がんばれ~!」
と階段を駆け下りていく職員たちの声が聞こえました。
どうやら生きているらしい・・・・・・。

私も周りの人たちも安堵してました。
やっぱり「死ぬ」という言葉を聞くのはイヤですよ。・・・・


なんだか、ほうけてしまったような自分を感じました。
怒りや悲しみという感情ではない、ただ何も感じられないバクバク感といったところです。


江原啓之さんが説く「階層の法則」、そして山蔭神道でも死後の階層があるのですが、私思うに、
「死後」も「現世」も同じ空間に存在していて、生きながらにしてそれぞれの人が、魂の高低によって居る階層が違うんじゃないでしょうか。・・・・・・

これは社会的地位や財力や家柄という現世的条件とは関係なく、その人の「魂」の格付けみたいなもので、時によって上がったり下がったりはするけれど、そうやって学んでいるのがこの世なのだな、と思うのです。


「袖触れ合うも他生の縁」っていいますけれど、
あの世では、階層が違うと袖が触れることなんてないといいますから。
自分より上の人と接して「向上する」なんて機会は無いってことですよね。

そう考えるとね、
肉体を持って今生きているってことは、すごいことなんだよなぁ~、と思うわけです。



それよりさ・・・・・・、
今夜なんだか興奮しちゃって、眠れそうにないよ・・・・・・。



ということで、これをアップしたんですが、
「メールや手紙やブログなどは、夜は書かない」
という(私の)鉄則があるから、この記事は明日の朝まで一夜漬けです。(^。^)b




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by anrianan | 2007-02-03 23:49 | ■伝統と文化
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