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トリミ祭
酉の月、己の日に行なわれる収穫祭のことだ。
私の生誕の日と重なった。

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こりゃ、縁起がいい!

今年は交通費も遣り繰りつかず、節分祭以来ずっと行けずにいたが、「自衛隊のイラク派遣が無事に撤退したこと」と「生誕のお礼」、とともに「戦争が起こらないように」「地球の自然が守られるように」の願いをするため、万障繰り合わせして、貴嶺宮(愛知県幸田町)に足を運んだ。


「収穫祭」という響きが、なんだか豊かになりそうだ♪ なのに、
私は電車に乗って、まず新幹線の切符を忘れたことに気がついた!

出かける前に、バックを替えたのだ。
その時に、「大切だから」とサイドポケットにいれたチケットを取り出さなかった。

      が~ん!!


もうこれだけで衝撃は充分に大きく、一瞬ボーゼンとしてしまった。

貴嶺宮に行くと、必ず何かを「失う」。
これを「厄祓い」というのか?
以前には、毛皮の襟巻きを落としたし、水晶のネックレスを落としたこともある。
「捨てると入る」といわれるが、新しく得ることが大きいからその分のスペースを作るのか?
一番大切にしているものに限って落としたり、失ったりする。
その時は、あまりにショックが大きいので自分を慰めることに必死になる。


カードで往復切符を買い求め、私は負けずにお宮を目指した!

鳥居をくぐって階段を上がり、拝殿を目の前にした時には
「やっと来れたなぁ」
と、大袈裟にも目が熱くなった。


そして、ご挨拶のお参りをした後、おみくじを引く。 これも恒例。
おみくじは、
「自分に今一番必要な言葉をください」
というのがいいらしい。

そう心で念じて、一枚取り出す。

    再び、 が~ん!!!!

「凶」である!

なんで、なんで、なんで、誕生日に「凶!」なのさぁ!!!!!

新幹線のチケットに続いての「厄祓い」(?)。

トリミ祭_d0046294_6264217.jpgいやいや、「書いてある言葉」が大切なんだ・・・・・・。
と自分に言い聞かせて読む。

   どうやら、“今は時ではない。待て” と言うことらしい。
   どれも「叶わず、整わず」とは書いてないじゃないか・・・・・・。

と心を落ち着かせ、「厄祓い、厄祓い・・・・・・」と呪文のように唱えて木に結んだ。



昨日刈り取った稲穂の一部と供え物が飾られ、お祭が執り行われた。
花山(カザン)さまのお社は小さいのだが、私はなぜか好きなのだ。
あんまり物質的な益はいただいていないが・・・・・。

お祭が終って、珍しく太主から短いお話があった。
「あいや~、不思議なこともあるねぇ。・・・・・ お祭が始まると扉が両側にパ~ッと開いて
千畳敷のような広いお座敷に、両側ズラッと立派な方々が座っている。
今までこんなこと、無かったんだよ。・・・・・・ 大変な時期が来ているねぇ・・・・・。」

へぇ~・・・・・・。

何も見えない私は、そう思うしかない。


今回はどうしても「行かなければ」という気持ちがあって参拝の予定だったのだけど、
私のうっかりでシフト調整の時に休暇を取り損ね、交代してもらうのがエラク大変だった。
「これは縁が無いのかも・・・・・」と半ば諦めながら、
「行く必要があるのなら、整うだろう・・・・」と片隅で思って努力だけはすることにした。

ようやく交代してもらい、私は感謝に頭が下がる一方。
で、時間が無い中を走って「割安切符」を買って準備した。
そしたら、その切符を忘れた。・・・・・

なんだかスムーズに事が進まず、何度も試されているように感じながら私も試していた。
こちらがどんなに努力しても「成らないことはならない」。
「私は今まで出来る限り走って来たさ。これ以上無駄な力は残っていないよ。
必要とされれば我が身の損得を考えずに動くけど、これ以上余計なことはさせないでおくれ!」
と、まぁ、私は“神さま”にもへつらうことを止めたわけだ。


なんだかんだありましたが、
帰りの新幹線ではつかの間眠り込むほどに疲れを感じながらも、無事帰宅。

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今日の夜から、岩手に行ってきます。
帰りは30日(土)の予定です。 では、行って来まーす!
by anrianan | 2006-09-26 06:27 | ■伝統と文化
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