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山蔭太主のお別れ会
山蔭神道七十九世山蔭基央(モトヒサ)太主のお別れ会が、昨日豊橋で行われました。
ここ何年かは月一回の神道講座もサボり、俗世界にどっぷりと浸かっておりましたので、太主のご家族や貴嶺宮の先生方、そして管長とも久しぶりにお会いすることになりました。

仏教では四十九日といいますが、神道では五十日という節目でお祭りをします。
昨日は五十日を過ぎてからのお別れ会でしたが、管長いわく
「五十日祭の時に、もう(太主は)出てこないんだよ。今日も居ないから、百ぺんくらい悪口を言ってください。そうすれば出てくると思うから」。

誰も死後のことは分かりませんが、というよりは“忘れている”ということではないかと思っています。
「あの世に帰る」
と言い方をしますから、死後は生前の世界、つまり霊界のことなのでしょう。
その霊界に帰るとき、この世に執着や未練があるとなかなか帰ることができず、人によっては肉体を持っている人間に憑り依いたり、悪霊となったりすることもあるそうです。
これは生前の生き方が死後の結果になるということでしょうか。
大勢の子どもや孫に囲まれて、いわゆるこの世の幸せという中で帰られた方は、この世に未練が残る人が多く、逆に一人で生きた人は結構サッサと帰るのだそうです。
何が幸せで何が不幸せなのか分かりません。・・・・・・

太主は数多くの本を世に出され、昭和天皇の勅命で延命祈祷をされ、ある時期は次期首相を決めるご意見番だったこともあり、日本と台湾との大きなかけ橋ともなり、さまざまな功績を残されてきました。

神道講座では、神さまのお話というよりは政治の話が多く、毎回興味深く拝聴しました。
日本民族が他のアジア諸国や西洋の民族と大きく違うのは、八百万の神を感じ取れる感性を持っているからだと聞きました。

また戦後、進駐軍が日本人に、お米を食べずに小麦を食べさせて日本人の意識を変えさせる作戦で、コッペパンを普及させ、日本人は見事にその作戦にハマッて現代の日本人になったのだ、という話。
これは、私の中で深く根付き、事あるごとに考えさせられます。
食は肉体を作り、精神をも変えるということですね。
もちろん、私もパン大好き人間ではあるのですが。 (西洋菓子も西洋料理も大好きだし・・・)。

「私は伝統保持者である」
と、太主はよくおっしゃっていました。
形とか形式を守っていくことが大切なのだ、と。
節分祭はじめ先祖供養などの祭祀を見たり、地域の夏祭りや伝統行事に触れると、私も“その通りだな”とつくづく感じさせられます。

大概のことは意見が一致し、私が質問や反論をしたときも、
「おまえは面白い!」
などと大いに面白がり可愛がっていただいたのですが、ただ結婚(および恋愛)については、どうしても太主と意見が対立していました。
「まったく、おまえは・・・・!」
と、感情もあらわに言の刃に切られたこともあります。

太主は私にとって師ではありましたが、父のような存在でもあり、他人でありながらどこか身内のように本音をぶつけ合うところがありました。
私はそのたびに、まったく勝ち目のない巨大な存在に立ち向かっているちっぽけな存在に感じ、落ち込み、自分の考えていることは間違っているのかと悩みました。
結婚せず子どもを産まない独身女性はなんとなく肩身の狭いプレッシャーを感じるのは何なのか? 
女としての役目を果たしていないって、どういうことなのか?
存在すらも全否定するのか。・・・・・・

今になると、自分に問いかけ続ける機会と試練を与えられたのだ、と感謝をしています。
けれど当時は、
(アカの他人の私に、こんな言い方をするのか!) 
と猛烈に腹を立て、ショックを受け、それを最後に神道講座にも行かなくなり、太主とも会うことなく、この世の別れとなりました。
そのことが、とても、心残りです。・・・・・・ (ま、また来世でも再会するのでしょうけれど)。

太主、
結婚や恋愛観については、これは生まれ育つ時代の影響(=現世の影響)も強いというのが今の私の結論だから、太主があの世に帰られても、未だ絶対に譲れませんから。
日本の歴史で繰り返されてきた“お家のため”や“子孫を残すため”の結婚は、やっぱり違うと思いますよ。
許されない状況に置かれている人たちは気の毒だと思いますが、それはその人たちの何か課題であるとして、
やっぱり、結婚は結魂であることが望ましいのです。

どう? 違いますか?
社会的地位だの、家系だの、家柄だの、そういうものを超えて、魂と魂がつながることが本当の愛ではありませんか? 日本人は(男女間の)「愛」という存在に不慣れなのではありませんか? 特に、昔の人は。


太主はかなり高い霊域に上がってしまわれたと思うので、いまさら人間界の愛についてよりは、きっと世界の平和に奔走されているのではないかと思われます。
が、私はまだ人間界で生きていかなければならないので、この世での損得に惑わされず、真実の答えを見つけながら、その答えに忠実に、潔く生きていきたい、と太主の遺影を前に思いを強くした一日でした。

太主、たくさんの教えを、ありがとう。・・・・・・またね。・・・・・・
山蔭太主のお別れ会_d0046294_9512819.jpg

素晴らしいすべての出会いに感謝して・・・・・・、ぽちっとお願いね。d(_ _)m
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by anrianan | 2013-08-26 10:18 | ■とりあえず日記
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