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バレンタインデーのチョコレート
今朝、心友が一年前にくれたチョコレートを食べました。
小さな箱の中にはたった2粒だったけど、きっと彼女のことだから、小さくても高価なものに違いないのです。
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私たちはお互いにやり繰りは苦労していますけど、彼女はできる範囲で精一杯の心を込めてくれる人、私が「心友」と呼ぶ人はそういう人ばかりです。

「学生の時しか“友だち”はできない」
と言い切った人がいますが、ずい分寂しい人だなと思いました。
私は社会に出てから、しかも好きな道を歩み出してから、生涯続くだろうと思える友だちとたくさん出会いました。
どんな出会い方や場所であろうとそれは出会うためのきっかけにすぎず、“友だちになれるかなれないか”を決めるのは、自分の心や生き方だと私は思っています。その結果が、今いる場なのですから。

“類は友を呼ぶ”
といいますが、自分が成長すればそれに見合った人と出会える、とも感じています。
学生の時は確かに純粋で、損得なしに友だちになれるのでしょう。・・・・・・が、果たしてそうでしょうか。

社会に出て、いろいろな駆け引きや損得勘定が働く中で、そういうことに流されずに
(この人との関係を大切にしよう)
と思うことができたら、その人とのつながりは強くて深いものになるのではないでしょうか。
もちろん一方通行では成り立たないのですが。

友情も恋愛も相手を大切に思うという点では、私には同種のものに思えるのですが、人それぞれ“友だち”という言葉に込めた思いの深さは違うから、私の思いが届いていなかったんだなとがっかりすることもあります。
だからこそ、“心友”と呼ぶまでには注意深く接していくという自分もいるのですが。


それでも好きな時空間に身を置いていると、好意を感じる人に多く出会えるし、そういう人と交流していくうちに「友だち」になり、「心友」に変化していき、一生の宝をプレゼントされたような豊かな気持ちになります。豊かな気持ちから感謝の念が生まれ、感謝している自分が今ここにいることに感謝する・・・・・・ということが、とても有難く思えます。
心友という呼べる人はそんなに多くいませんが、一生のうちに一人でも二人でもそう思える人に出会えたら、
「今世を生きた甲斐があった」
と私は思えます。

誰にでも平等にそういうチャンスは与えられていますが、好きな空間に身を置いていない人が、それを人のせいにして心を閉ざしていたりすると、限られた同じ時空間を生きているのに、ずい分勿体無いと感じます。
心が閉じている時は特に、自分では気づいていないことが多いから恐いですね。・・・・・・
すぐ傍にある宝を、ざらざらと零れ落としているわけですから。


老いも若きも、今はいつ死んでもおかしくない世の中だから、一瞬一瞬を感謝と喜びと楽しい時間で埋め尽くし、後悔のない生き方をしていたい、と思います。

「ありがとう」
「ごめんなさい」
「大好き」
という言葉を素直に、心のままに伝える勇気を持って、想いのキャッチボールを続けていける人を大切にしたい。
そういう思いを込めて、大切に冷凍保存してきた心友からの赤いハートのチョコレートを、パクリと口に入れました。



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by anrianan | 2013-02-13 11:48 | ■心・精神・魂
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