<< いよいよ、です・・・・ 朝一の仕事は草刈り >>
私はツマでもダシでもありません
中学二年生のとき、国語の先生に言われた。
「人と話すときは、相手の目を見て話すもんだぞ」
視線のことなどあまり気にしていなかったので、そう言われたことにビックリした。
目玉をきょろきょろさせていたのだろうか? と、初めて視線というものに意識が向いた出来事でもあった。
もしかしたら相手の目をじっと見ることが恥ずかしくて、(私はシャイだし)、そらしていたのかもしれない。(?)

木造校舎の長い廊下、その窓際で先生と話した情景を、今でも鮮明に覚えている。
教師になりたての24歳の男性教師、後に再会した時にその話をしたら、
「俺もまだバリバリのやる気があったころだからな」
と笑っていた。
ほんとだ、私とたった10歳しか離れていない青二才だったくせして・・・・・。


でも14歳の私には強烈だったその一言が、今でも誰かと話している時に蘇る。
時と場合によっては、未だに恥ずかしくて目をそらしたくなることがあるのだけど、
「誠意を伝えるためには視線をそらせてはならぬ」
とガンバって相手の目を見るようにする。


ということで、話している時に相手に視線をしょっちゅう外されると、
(この人は私を見たくないんだろうか? 嫌いなんだろうか?)
と、話の内容よりも、視線を外す理由が気になってしまう。

私から話しかけて逸らされるのならば、“話したくないのかも” と考えられるが、話しかけられた場合はいくつもの疑問符が私の頭の中を飛び跳ねる。
さらに、私と話し始めたのに、傍らにいる別の人間(女性)に視線を送りながら話していたりすると、
(実はこっちの人と話したいのか? ・・・・・・あたしゃ、単なるダシかい?)
と思ってしまう。
そりゃね、十分にイイ出汁が出ると思いますけどね。 年季が入ってますから。・・・・・

それでもね、アタシャまだ出がらしにはなりたくないざんす。

それとも・・・・・・ダシに使われているのではなくて、刺身を引き立てているツマですかい?
あの、あってもなくてもいいツマ・・・・・・いや、違うな、あった方が赤いマグロがキレイに見えるし、一緒に食べるとサッパリしておいしい、あの白くてソバのように細長いツマ! (ちなみに、あの繊細なまでに細く刻まれた大根が、私は大好きざんす。)

それにしても、妻になれないからってツマにはなりたかないわい。・・・・・

なんてバカなギャグに内心呆れながら、チラ見男にはドッチラケる。
その本人にズバリ理由を聞けば正確な答えを得られるのだけど、
「私と話しているのに、なぜ別の人に視線をキョロキョロさせるの?」
なんて聞いたら、私が焼き餅をやいていると勘違いされてしまいそうではないか。結局、
(餅を焼くほどの男じゃないし)
と思って、このことは私の中から単純に消去しようと思うのだけど、どうもスッキリしない。


中国の諺で「指桑罵槐(桑を指して槐を罵る)」というのを思い出した。
本当の怒りの対象とはぜんぜん別のものを攻撃する、ということ。
私の場合は怒りではないのだけれど、あちきを使わないでおくれ、と思うのだ。

  あたしゃ、ツマでもダシでもないのだから。




今日は雨出汁、明日も江戸出汁、ツマらないギャグばかり出汁・・・・・・、
閃きのエネルギーをぽちっと送っておくれ。 (^。^;)b

  ↓ ↓ ↓
人気ブログランキング
by anrianan | 2012-07-03 19:19 | ■とりあえず日記
<< いよいよ、です・・・・ 朝一の仕事は草刈り >>