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婚活と就活
最近気付いたことがある。(人生何十年生きてきてやっと・・・・・・。)

“こんかつ”と“とんかつ”って似ている。・・・・・・なんてどーでもいいギャグは置いといて・・・・・・、(/_;)



私はどちらも同じ思考回路で、同じ選択をしてきた。

人間の思考癖や思い癖は人それぞれだけど、物事によって変わるわけではないから、仕事も結婚も同じ思考回路は当たり前のことかもしれないのだけど、
「結婚は永久就職」
と言われてきたからなぁ、とつくづく納得できる年頃になったということか。

“言われてきた”と過去形にしたのは、今や一生に一回の結婚が当たり前という時代ではないから。


今までは人の一生も短かった。
平安、江戸、明治、いつの時代も例外的に長生きをした人はもちろんいるにしても、平均して30代で亡くなる人が多く、40を過ぎると老人に分類。



余談だけど、“かぐや姫”はジーサンが竹を割ったら出てきたというけれど、このジーサンとバーサンが40代だったという説がある。家の脇にクマザサが生えまくっていて、これを茶にして飲んでいた。
クマザサというのは、本来血液をきれいにするとか体を若返らせるといわれ、その茶を毎日飲んでいたから40代で子どもが出来てしまった。しかし、当時はそんな歳で子どもができたなどとても言えない。そこで、竹の中に入っていたということにしたのだ。・・・・・という説。

ホントかウソかはさておいても、何やら納得してしまいそうな感じがするのは私だけだろうか。



さて話を元に戻し、人生が7ー80年(中には100年なんて人もいる)になった人間は、日々進化を続けている。
けれどこれも人それぞれで、ある時点から進化ではなく退化する人も多いのも現状ではあるが。

進化や進歩とともに意識変革も起こり、思考や嗜好、さらには志向が変われば試行も変わる。となんだかダジャレの連発のようであるが、友だちも変わって行くし好みも変化していって当然と思える。


私が20代で“結婚って何だろう?”と考え始め、その答えはつい最近まで“とりあえず”の解答さえ見つからなかった。
昔は自他ともに“恋多き女”は認めていたし、好きな男性は半年から一年ごとに変わった。
自分でも分裂症ではないかと思うほど、好きなタイプの男性も多種多様。
・・・・・・要するに、自分を分かってない女だったのだ。

そのまま“えいっ!”と流れに乗って結婚してしまっても良かったけれど、
(絶対にこのまま結婚したら、いつか離婚するな)
という思いがあったから、私は“結婚って何?”の答えが見つかるまで結婚できない、と思った。

それに、結婚すると女は損だし。
この思いは両親を見ていて、子どものころから根強く確固たるものとして消えることはなかった。

女は内職をしながら家計を助け、その合間を縫って忙しく家事に立ち回って一日が終わる。
男は外に働きに出て帰って来たら何もしない。

私が会社で男性と同じように働くようになって、それなりに外で働くことでの気苦労や気疲れが多く、どんなに大変かということが理解できた。
家に帰って行った時、暖かい灯と食事が待っていて、お風呂も沸いていて、ベッドメーキングせずに暖かくて清潔な布団にすぐ寝れたらどんなに幸せか・・・・・・ということが身に沁みた。

けれど今や夫婦で働いているなんてのはザラで、そうなるとどちらも同じように家事を分担するのが当然となり、夫が風呂を洗うとか食後の食器を洗うなんて話を聞くと、私は内心ブッたまげるのと同時に、
(そうかぁ、時代が変わったのか・・・・・・)
と、なにやら時代から取り残されたバーサンのような心境となり、自分の中で答えを見つけられないからと結婚しなかったことで、損をしたような気分になったりもする。

しかし一方では、そういう疑問を持つこともなく結婚した世代の女性たちを観ていると呆れることも多く、つくづくこういう人間になりたくないとさえ思うこともある。
そういう女性と一生を終える男性を可哀想にと思う一方で、それもその男性にとっては今世の学びなのかと思ったり。


昔で言えば“老婆”の域に達して人生の終焉に近くなったと思うころになって、やっと私の中では明確に
「私はこういう男が好き」
という理想像(英語でいうと、Mr.rightというやつね)が見えてきた。
気付けば、今まで何十年の移り変わりの中で好きになった男性たちとはまったく異なるタイプ。
独りよがりではないかと思い、過去の恋愛をシェアしてきた心友のようなおナカさん(母)と話したら、
「変わった・・・・・、確かに変わったんだよ」
と、しみじみつぶやきながら太鼓判を押してくれた。


異性の好みが変わるということは簡単なようで、大変な意識革命なのだと感じている。
大体、どんなに地位や名誉があったりお偉い先生であっても、まったく女性を観る目がないという男が多い。
同性の見方と異性の見方は違うけれど、女同士は女特有の計算高さやしたたかさが見え見えだから、
(なぜあんな女にあの男性が?)
と呆れるケースが結構あるのだ。

どんなに頭が良くても、どんなに人柄が良くても、どんなにおカネを持っていても、どんなに社会的地位や権力を持っていても、そうゆう類の女を好む男はどこか魂の深い部分で、欠落している決定的なものがあるように感じてしまう。
特に、恋愛力を鍛える機会が少なかった人たちには、そのことを感じる。


さて、ようやくすべての外的条件や損得を抜きにして“こういう人が好き”という男性像が分かってきて、仕事についても同じであることに気付いたのだ。(遅すぎ・・・・)

私の適職は何なのか、天職は何なのか? と転職を繰り返してきた。
ただ職場を変えるだけではなく、真にやりたいことを見つけ、それを仕事をしようとしたから、職種も変われば使う感覚器官も替え、時には国も換わり、荒波で岩に打ちつけられる痛さを味わい傷も負った。
お陰で左の肺の下部はちょっと潰れているし、右の肺には穴も空いて、つまりはいつも命懸けでギリギリに生きてきたのだけれど、そこまでやるともう思い残すことはない、と思える。


結果今の職場は今までで最低の時給だし、仕事の内容も物足りないし、かと言って努力のしようもないし、いつ切られるかとビクビクだし・・・・・・と物理的に考えると決してよいとは言えないのだけど、なぜか5年(かそれ以上?)も続いていて、一度も辞めたいと思ったことがない。
というよりも、ずっとここで働いていたいと思い続けてきた。

何よりも職場環境というか、働いている人たちがいい。
中には、どこにでもいるようなエリート意識バリバリの偉そうな人もいたりはするが、大半の人は人間としての成熟度合いの良さを感じる。
特に同性である女性たちを見ていると、そこから学ぶことが多い。

そう、私はいつでもどこでも“学べる場”にいたいのだ。・・・・・・


一番やりたいこと(やりたい職業)の答えも見つかったが、今からでは物理的にも時間的にもこの有限の世界では少々無理(無謀)なので、これは来世に持ち越し。
それでもずっと居たいと思える職場では働けている。

今まで積み上げてきた知識や経験はまったく生かされていないけど、行くことが楽しみであることは毎日を楽しく生きていく上で大きなエネルギーになる。

同じように、結婚って何なのか? から始まり、どんな人と結婚をしたいのか? までの答えを見つけられたことは、今まで生きてきてよかったと思えるし、失敗だと思っていたすべてのことが感謝に変換されて、残りの人生の励みにもなる。


こうして一つ一つの答えを見つけるまでに時間がかかり、今世では物理的な結果が出ないとしても、これを次の世につなげていけると感じられることは、喜び以外のなにものでもない。

魂の輪廻を信じる信じないは人それぞれだし、それが本当かどうかも分からないけれど、私は魂の永遠性を信じている。そうでないと、今生きている意味がないと思うから。




ということで、今話題の就活や婚活には疑問多し、の私なのである。・・・・・・


                  そういう選び方で、本当に幸せになれるの?




久しぶりに長々と書きましたな。・・・遺言・・・ではないけれど、なにやら一つの区切りの時にやってきたような気がしているのですよ。・・・・・・最後までお読みくださり、ありがとうございます。今日もいつも通り、応援のぽちっをお願いね。
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by anrianan | 2011-11-26 11:46 | ■とりあえず日記
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