早起きすると4時半、遅くなると8時半、なんとも極端な起床時間。
これがこの頃の傾向。
気分的にいいのは、もちろん4時半。
8時半というのは一番遅かった時間だが、ベッドに太陽の光が射し始めるので、私の足は容赦なくジリジリと焼かれ、
「あち・・・・・あちっ・・・・・・!」
と、耐えられなくなって起きるハメになる。
もちろん寝汗もかく。
シーツとガーゼケット、そして枕カバーなどを抱えて一階に降りてくると、まだ2階ほど日が射し込んでいないからその涼しさにホッとする。
真っ先に水浴びをして、洗濯機を回し、アイスコーヒーをゴクリと飲むと一日が始まった気がするのだ。
今週は3日江戸に出張ったのでなんとなく充実感がある、その一方で、家の中の“気”が薄まった感じもする。
仕方ない、二兎は追えないのだから。・・・・・・
台所から庭を眺めると、つい
先日蚊の大群と戦いながら抜いた草が、すでに勢いを復活させている。
(写真をクリックすると大きくなります)
というより、赤シソが伸びてきたのか?・・・・・・・いやいや、足元の草も長くなっているから、やっぱり全体が鬱蒼としてきた。・・・・・ああ、枝豆が埋もれてる・・・・・・、あ、ヤーコンも。・・・・・・
毎日眺めているとあまり気にならない植物のようすも、たった数日家を空けただけで驚異の成長を感じる。
ああ、玄関前の草も抜かないとなぁ・・・・・・。
草の成長とともに私の憂鬱も増幅していくのがこの季節。
洗濯を干し終わり、掃除も簡単に済ませ、パソコンの前に座ると窓外の干し草に目がいく。
ああ、燃やしたい・・・・・・。 (これも大きくなります)
燃やしたいのは心ばかりではない。
目の前の草も燃やしたい。・・・・というよりも、いぶしたい。
(あの草も放射能がくっついているのだろうか?)
くっついているだろうな。
庭の赤シソにだって、青ジソにだって、トマトにだって、ぜ~んぶ放射能がくっついているに違いない。
と思うのは大げさだろうか。
いや、私はそう思っている。
でも、もう子どもを産むことはないだろうし、30年以内に三浦半島を震源とした大震災がくるという予想もあるから、今・・・今・・・今・・・と過ぎていく一瞬一瞬を楽しいことで心を充たし、笑って過ごし、何の心残りもなくこの世を去っていくのが一番。
だから、多少の放射能付き野菜なんか食べちゃうのだ! は・は・は・・・・・・!
けれど、目が見えなくなって衰弱している牛たちの写真が頭を離れず、先祖代々土を耕してきた農家の人が放浪していることを考えると、なんとも言葉を失い胸が痛くなり、この世の終わりを感じる。
たかだか3年だけど、無農薬の自然農法で野菜を作ろうと孤軍奮闘し、刈った草と土で堆肥を作り、少しずつ少しずつ土に栄養を付けて、今年は無農薬・無肥料で枝豆や小松菜ができるようになった。
土が良くなるには10年かかる、と言われている。
けれど放射能が土壌を汚染するのは一瞬だ。・・・・・・
そういうことをマジメに考えると、刹那的に生きていかなければやってられないよ・・・・・・となる。
自然の一部として生かされている人間が、傲慢にもすべての生命体をコントロールしようとし、さらにごく一部の人間がカネという物質のために多くの生命を殺し、さらに人間そのものの存在さえ危険に晒している。
このままでは海底に沈んだといわれるアトランティスのように、あるいは火山で埋もれたポンペイのように、核をもっている国すべてが絶滅させられるのではないだろうか。・・・・・
その方がいいのかもしれない。
なぜ「足るを知る」という気持ちになれないのだろうか。・・・・・・
と、目の前で風に揺れる木々を眺めながら虚しさを感じ、
(やはり、今というこの時の幸せを、存分に噛み締めておかなければならない)
とやりきれなくなるのだ。 (これも大きくなります)
噛み締めすぎるから、歯がすり減っちゃうのかしら・・・・・。
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