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なんでもない一日だけど・・・・・・
これから熱帯夜が来るのだろうか。
きっとそうなのだろう、まだ7月なのだから。

けれど、私にはすでに秋の匂いが感じられる。


昨晩は仕事から帰り、午前零時になってやっとベッドに入る気になった。
仕事の日は、いつもそうなる。

家のことや料理など、もっと丁寧な暮らしの時間を持ちたくてフルタイムを止めたけど、基本的にガッツリ働くことが好きだから、外に出た日は軽く興奮して幸せの余韻に浸りたくなる。
特に昼の時間が灼熱地獄のようなこの季節は、早朝と深夜に窓から入ってくる風を閉じてしまうには勿体無くて、いつまでも味わっていたくなってしまうのだ。

昨夜もそんな気持ちから発泡酒を飲みながら、ツタヤディスカスから送られてきていた『X-ファイル』のDVDを見ているうちに、夜風と一緒に時間が吹きぬけて行った。 (※ただ今、オンラインDVD&CDレンタルが入会日から30日間無料でお試し可能!


なのに、今朝は4時半には一度目が覚める。
(少し、日の出が遅くなったのかな・・・・・・)
と感じつつも、この爽やかな時間帯を瞼を閉じたまま楽しみたい気持ちと、ベッドを抜け出して行動したい気持ちで引き裂かれ、今朝は前者が勝った。 のだが、次に目覚めたのは5時7分。
すでに太陽の光が天空を照らし出していることを感じて、多少焦りながら起き出した。
間もなく強い光が庭を照らす前に、充分に爽やかな空気を感じておきたいのだ。

何をするという目的もないまま、まず庭に出てスモモの木の下をぐるりと足早に歩く。
落ちているスモモを一つ拾う。
蚊に刺されないように走って家に戻り、水浴びをして洗濯機を回し、昨夜水出しコーヒーを作って置かなかったことを思い出して、湯を沸かしてコーヒーを淹れる。


そうだ、一昨日の朝飯前に剪定をしたソテツを撮っておこう。  (写真をクリックすると大きくなります)
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これはどんどん増える。
脇から芽を出し、根元から芽を出し、少し離れた地面からも小さな葉を広げている。

いかにも南国を感じさせるこの木は、一番内側の葉を残して刈り取った方がよいと聞いたことがある。
けれど、この葉は刈り取る時も、刈り取った後に引き抜く時も、まとめて捨てる時も、油断をするとチクチクと刺される。
そして、毎年このソテツのことを書いている。 (昨年はここ


つまり、梅を漬けて、梅雨が明けるか明けないかで、ソテツの刈り込みとなるわけだ。
その梅干しだけど、今日は赤紫蘇に漬けていない方の梅を干した。  (これも大きくなります)
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赤い梅干しは、昨日留守の間は網戸にした窓辺に置いておき、帰宅してようすを見たらちょっと乾き過ぎ? と思うくらいにカラッとしていた。
私的には、少しねっとりしているくらいが好きなので、瓶詰のあと赤い梅酢を上からふりかけた。

今日から天日干しのこれらの梅は、熟れすぎたものとイマイチ熟れ方が足りないものが一緒になっている。
上の写真で見ると、向かって左側が“熟れすぎ”→右側が“イマイチ熟れてない”となる。
これがこの2-3日の干し具合でどう変化するのか、ここら辺が勝負・・・・・・。


さて、梅を干す時間帯には布団も干す。
ちょうど9時半から10時ごろにかけて、南に面したベランダに強い日が当たり始める。

それでも腹が空かぬあちき。
5時半から胃袋に収納したものといえば、アイスカフェ・ラ・テ3杯。
(カフェ・ラ・テだから、牛乳で栄養を摂っているし)
とごまかしているが、10時半すぎるとさすがに空腹を認識し始めてくる。

(こういう時は、甘い物がほしくなるんだな・・・・・・)
ということで作ったのが、これ。
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おい、おい、おい、おいっ!・・・・・・・・・・

呆れてモノもいえない、と苦笑いする私と、
(ふふふ・・・・・、ちょっと面白いんじゃないのぉ~♪)
とはしゃぐもう一人のあちき。


ホントは、コーヒーの上にアイスクリームを乗せて、コーヒーフロートもどきを頭に描いたのだ。
けれど、とっさに作ったのがこれ。
昨日“4割引き”にひかれて買ってしまった「白くま」という九州の名物アイス。
6本入りの棒アイスのうちの1本を取り出して、そのままアイスコーヒーにドプリと浸けた!・・・・・・




こういうくだらないことを日々楽しみながら繰り返して、この“生”の時間をいつか終えていく。

昨日の東京新聞朝刊で、
“東日本大震災の影響を受けて、三浦半島断層群の地震発生確率が高まった”
という記事が出ていた。
地図を見ると、私が住んでいる場所は“ド・ストライク!”
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赤い矢印の場所だからね、山がポロリと崩れて一緒に浦賀水道に流れ込んでいくかもしれない。

とは言っても、人にはそれぞれ決められた寿命というものがある、ということは常々感じており、この時にたまたま職場にいたとか、岩手の両親の所に行っていたとか、或いは震源の中心部に行っていたとか、先のことは誰も分からない。
ましてや30年先などと言われたら、私自身がどこで何をしているのか予想すらできないし、私を心配してくれる人はいるのか? というよりも、私の存在を知っている人はいるのか? などと考えてしまう。

もし大地震が来て助かったとしても、その後の苦難を考えると何が幸せか分からない。


今の私に、仕事を失って将来に希望を見出せない被災者に負けずとも劣らない精神的ストレスや不安があるとしても、住む家があり働く場所があるというだけで何十倍も恵まれていると感じられるし、たとえ放射能で庭の果樹や野菜が汚染されているとしても、洗い流す水があり、毎日好きなだけお風呂に入ることができ、洗濯をした清潔な寝具で眠りに就けるということが、とてつもなく幸せに感じられる。


万一、何年か先に、悲惨な状況で助かって苦難の日々が長く続いたとして(東北の被災者のように)、この今の幸せを思い出すことで僅かでも心が救われるように、私は毎日のくだらない細かいことに心を砕き、一瞬一瞬を滑稽に楽しく、記憶に刻みつけていきたい。・・・・・・

  
交通も電気もすべてが寸断され、年老いた自分が自ら命を絶つこともできず、一人で“その時”が来るまで生きていかなければならないとしたら・・・・・・。
生きていることに感謝して生きていかなければならないとしたら。・・・・・・



悪戦苦闘して失敗するスイーツも、食べてもらう喜びも、蚊に襲われることも、草刈りで汗みどろになることも、鳥たちと果実の採り合いをすることも、だらだらとGyaoることも、好きな人に胸が疼くことも、すべての一瞬一瞬がかけがえのない時間になっていく。

   これが生きているということ。・・・・・・





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by anrianan | 2011-07-13 17:31 | ■とりあえず日記
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