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愛と失恋
なんと不思議なことか、これをシンクロというのか。
たて続けに、海外の友人から2通の失恋の痛みを伝えるメールが入って来た。

    あたしゃ、恋愛カウンセラーじゃないわい・・・・・・・。


と思いながらも、近しい友人だから、なんとか一生懸命読む。
ところが悲しいかな、もともと貧相な単語力の上に前世の記憶かのごとく忘れているボキャブラリー、たとえ簡単な単語の羅列であってもカンマによる区切りが多かったり、
(センテンスになってないやんけ!)
という、いわゆる口語体なのか、それとも日本語で言うと散文? になるのか、とんと理解できない部分がいと多し。

(それなら翻訳を使ってみようか・・・・・)
と英文をコピーして、ネットの翻訳にかければ、ますます分からないではないか! なんじゃ、こりゃ~!!!

仕方がないので、もう一度頭から英文を読み直す。
(ふ・・・・む、・・・・・・ふむ・・・・・・、・・・・・ん~・・・・・・、・・・・・・分からん・・・・・・)



要するに、恋愛がブロークンアップして(壊れて)とても辛い、と伝えていることは分かる。
ところが心の内面、いわゆる細かい心の襞のような部分を語られても、日本語のように理解できない。・・・・

   ふぅ~・・・・・、ま、仕方ないか・・・・・・・。




晩年期を送っているつもりの私にとっては、
(恋をした?! 失恋の痛みで苦しむ?! ・・・・なんて若い! なんて裏山鹿~!)
という感想。

“恋愛は感性の学び、結婚は忍耐の学び”と言われるが、結婚という形態に憧れるならば、どんな方法でもどんな相手でも、さっさと結婚すればいいから簡単だけれど、恋愛ばかりは“したい”と思ってできるものではない。

一人で勝手に燃え上がったりフラレたと騒ぐことはできるけれど、本当の恋愛をするには相手がいるからねぇ。
その相手と精神的にも肉体的にも、さらに言えば魂的にも、どれほど深く関わっていくかで学べる感性の度合いが違ってくるっちゅうもんだ。(と思っている)

だから、心から大好きだと思える人に出会えたら、感性を学ぶチャンスを与えられたということで、神さまからギフトをもらったようなもの。 いいなぁ・・・・・。

とくに年齢を重ねると、盲目どころか片目をつぶって恋愛するなんていう芸当は面倒臭くて(アホらしくて?)できなくなってくるから、なかなかそう思う相手に巡り合えなくなってくるということはジュワ~っ! と実感済み。
だから、“出会えた”という事実の幸せを、体中の細胞に刻み込まなければ勿体無い。



だけど、肉体を持って生まれてきた人間の浅ましさか強欲さか、最初は出会ったことだけに感謝していたのに、次には“会いたい”と思い、“一緒に時を過ごしたい”と思い、“もっと一緒にいたい”と思う。
もっともっとと望むことは、場合によっては向上につながったりするのだけど、結局は“欲”。

男女の恋愛においてのもっともっとは独占欲とか占有欲とかに変貌して、結局相手への執着になって、お互いに楽しい感情が持てなくなる。相手が自分を避けるとさらに悲しさや辛さが加わるせいか、またその穴を埋めようとするせいか、相手への執着心は増す一方。(男女に限らず、人間関係全般にいえるかもしれないけど)
そういう人を見ていると、(昔の自分を見ているようでもあるのだけれど)本当に辛くなる。


自分がこれだけ好きなんだから、同じだけ好きと感じてほしい、のは自然的発露なのだと思う。

だけどね、
人間それぞれ“居る場所”が違うからさ、それは無理なんだよね。

感性が同調し合う相手だったり、もしかしたら前世からの縁だったりして結ばれる人もいるけれど、こちらが相手の高貴な魂に憧れたり、人間的魅力に惹かれて好きになっても、その同等の気持ちを相手に求めるのは無理。

例えば、映画やテレビに出ているようなスターと出会って、個人的に会話をするような関係になったとする。
普通なら、こちらは相手を知っているけど、相手は自分を知らない状況が一般的だけど、相手が自分を友人、あるいは恋愛の対象にしたとする。

この時、自分は相手の何に惹かれているのだろうか? 名声か? 才能か? 財力か? そういう人に選ばれているという虚栄心? それともそれらすべてを捨てて、相手をただの男性として愛しているのだろうか?・・・・・・


極端な例だけど、自分が相手に惹かれた時、特に自分が持っていない何かを感じて惹かれる時、すべての条件をはぎ棄てて、丸裸のその人を一人の人間として愛しているのか? 
人間って人のエネルギーを奪い取ろうとすることが多いからね。・・・・・

だから相手のどこに惹かれているのか、ってことを観ると、結構自分の内面を見ることになって怖いけれど面白い。



愛するということは、自分が何か得ることをまったく考えずに、相手の幸せを喜ぶことなのではないだろうか。

そう考えれば、人を愛することによって恐れや心配や不安を感じることもないし、愛を失う失恋というものも存在しないことになる。
悲しみや痛みを感じるとしたら、それは自分の中で望んでいる形態や求めるもののせいだ、と思うのである。


   確かに好きな人に拒否される感覚は辛いけどね・・・・・・・。

     その人との出会いに感謝して、その人への愛を光に変えようよ。・・・・・・・



これを書き終わる頃、庭にハトがやって来た。ちょっと分かりにくいが、片方の羽を伸ばして日向ぼっこなのか、ストレッチなのか・・・・・。
人間だって羽を休める時も必要だよね。・・・・・・

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ああ、あちきだってたまには恋をしてみたいさ! でももう体力が・・・・・・。(笑) 
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by anrianan | 2011-05-04 13:47 | ■恋愛
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