3年
フェイスブックでは「過去の思い出」と称して、数年前のブログが表示される。
期せずして、3年日記や5年日記ができあがっていることになる。
最初は「余計なお世話」と思っていたが、このごろは天候をはじめ、自分をとりまく生活環境の違いや変化を比べることができて、これが結構楽しい。

さて、前回の母の介護記から4ヶ月ぶりの更新。
まだ、母は生きております。
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よく食べ、よく眠り、よくしゃべり、よく出す……。いわゆる、快食快眠快(弁?)便というやつです。
在宅介護を体験している身としては言いたいこと山ほどあれど、本日は冒頭の「過去の思い出」がらみの話をいたします。

3年前の5月6日に、アロエの大伐採をやっておりました。
実は、数日前にその時のことを思い出しながら、再びアロエを剪定していました。
ただ3年の月日というものは、とてつもない変化を起こすもので、現在アロエの傍らには広いテラスがあり(すでに1年くらい前に作りました)、その向こう側の地面に石を敷き詰めました。
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テーブルのティーは、干したペパーミントにステビア草を加えたものです。(ステビア草は肝臓にいいらしいのです)
昔フランス在住のCOCOさんに教えてもらったサン・ティー(太陽の熱で淹れる水出し茶)を作ってみました。
雑草のように(元)畑を占領しているミントを移植しながら、切り取ったミントは母に葉っぱだけちぎってもらいました。
ええ、仕事があると元気が出る母なので、こうして孝行娘は仕事を作ってあげているのです。(余談ですが)
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少しずつ、ミント畑を野菜畑に戻そうと思います。
面積は結構広いほうだと思いますが、周囲の木々が育ち、日当たり良好地はかなり限られているので、苗の植え付けに頭を抱える日々です。

とはいっても、昨年5月3日に母が体調を崩して以来のことを考えたら、苗の植え付けなど楽しみとしかいえません。

本日、母は午前中だけデイサービスに行っています。
肝臓が徹底的に悪くなっているので、どうしても半日になってしまいます。
それでも、私にとってはつかの間の休息、かな?……

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# by anrianan | 2017-05-06 13:30 | ■住まい
母、転院する
2016年9月1日、よこすか浦賀病院に転院しました。

療養病棟を持ついくつかの病院から、この病院を選択した大きな理由は、家に近いこと。
山を降りて海岸に出るとポンポン船(浦賀の渡し)があり、そのポンポン船で細長い浦賀湾を渡った向こう岸に、その病院はあります。
病室の窓からは房総半島が望めました。
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いつもいる場所の反対側から眺めた風景。 おもしろいですね。
海外に行くと日本がよく見えるとか、日本の良さが分かるという話を聞きますが、人生のすべてにおいて同じことが言えるのかもしれません。今の自分と反対側の立場に立ってみると、いいこともあれば悪いこともある。
想像上では実感にいたらず、実感しないと「分かる」という言葉を使えないのかもしれないと思ったりします。

あの山の上のちょっと向こう側にわが家はあります。
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母は60歳で蜘蛛膜下出血になるまで、約15年間浦賀病院で働いていました。
以前の病院は浦賀駅前にあって便利でしたが、現在はバス停3つ分ほど離れた場所にあるのでシャトルバスが出ています。
母が病院を離れてから20年経ちますが、当時から働いている人が何人かいらして、次々母の病室に会いに来てくれました。
懐かしい人たちと会い、話していると俄然元気になっていくように見えました。
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ああ、これで安心……
きっと意識もしっかり戻ってきて、これで食欲が戻れば元気になるに違いありません。
たとえ肝硬変や多機能不全といわれても、わずかでも機能している細胞が活発に働いてくれるのではないか。素人考えですが、そう期待せずにはいられませんでした。
家からも近いし、これなら毎日来るにしても大分楽になります。
ああ、よかった……
と安堵したのでした。それを裏付けるかのように、面会の前にクックを連れて周囲を散歩していると、大きな虹が空いっぱいに広がりました。  うわぁ~!
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人生、山あり谷ありか……

束の間の「山」であったことは、後に知ることになるのですが……

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# by anrianan | 2017-01-09 11:57 | ■とりあえず日記
あけましておめでとうございます
前回からの続きをなかなか書くことができずに、2017年の元旦を迎えてしまいました。
とりあえず新年のご挨拶と、現状をチラリとお知らせしておきます。

現在母を在宅で介護をしております。
夜中の2時から3時に一度起き(時には2度起き)、朝は6時から6時半に起床してオムツを替える生活が2ヶ月になろうとしています。
母の認知症が刻々と進んでいるのか、自分でオムツを取ってしまうことが頻繁になりました。
当然、糞尿が寝具やパジャマに付着します。臭いも強烈です。
そのたびに私は絶望し、母に暴言を吐き、母も落ち込み、その母を見て罪悪感に駆られ、ということが何十回となく繰り返され、私は慢性的睡眠不足と精神的・体力的な限界を感じつつあります。

年末年始などなく、正月の用意も一切する余裕もありません。
帰省した愚弟は山盛りの正月料理(パック詰め)を買ってきましたが、従来の正月のように何も用意できないし、食卓に並べる気力もないのです。そういう状況を把握できない可哀想な愚弟は、昨夜怒って帰っていきました。

大威張りでしたけど大黒柱だった父が亡くなって、こんなにも簡単に家族が崩壊するのだと驚いています。
父という怖い存在がいた時には我を出さなかったというだけで、互いに思いやっていた家族ではなかったということですね。
恐怖政治と同じ。 家族や会社、学校などの集団は、世界国家の縮図ですね。

以上、元旦到着の年賀状が書けなかった長い長い言い訳を終わります。
これから一枚ずつゆっくりと、時間を見つけて書きますので少し先になりますが、どうぞお許しのほどを・・・

皆さまの健康と幸せな日々を、そして世界の平和を祈りつつ、新年のご挨拶とさせていただきます。

あんり

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# by anrianan | 2017-01-01 12:12 | ■とりあえず日記
肝性脳症 (Hepatic encephalopathy)
7月10日(日)に意識がなくなり、その晩、私は母の側で、クックは駐車場に停めた車の中で一夜を明かしました。
このまま目覚めなかったら、という不安を抱きながらその後病院に何度も足を運びました。
ありがたかったことは、個室に移されたので面会時間に関係なく訪れることができたこと、そして1時間でも2時間でも傍にいられたことです。その間、母の意識は聞いていると信じ、何度も呼びかけ、話しかけました。
時におナカさんの目尻から涙が流れるように見えたのは、気のせいだったのでしょうか……
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母の意識が戻ったのは、2日後の12日(火)。
私はその日仕事を休ませてもらい、10時ごろだったでしょうか、病室のドアを開けると看護師さんの一人が
「ナカコさん、目が覚めてますよ」
とにっこり。
「え! ホントですか?」
「あ~、よかったね~! もう目が覚めないかと思ったよ~!」
最後の方は、勝手に涙が出てきてしまいました。
すると、おナカさんも私の涙につられたのか、顔をしかめて泣き出しました。
といっても、声を出してワーワー泣くほどのエネルギーはありません。

医師から、「肝性脳症」(肝臓の機能低下による意識障害)であることを告げられました。
さて、目覚めたものの意識はボーっとした感じで食欲はまったくなく、口の中も白くカビが生えたようであり、唇もボロ布が剥がれかけているように皮が剥けています。
治療は通常、口から薬を飲用するのだそうですが、このような状態では水を飲むことさえ困難。
主治医から一つの提案が出されました。胃管(口または鼻から胃に挿入する細い管)を装着し、薬を液体にして流し込むという方法です。
「これしかないと思うんです」
栄養素の補給などのために使うと延命になってしまい、たとえ植物人間になっても何人たりとも外すことができないのだという説明を以前聞きました。胃管を外すことは命を終わらせることになってしまうからです。

「胃管ですかぁ……ん~」(そりゃイカン…)
私の反応を見て、
「栄養の補給ではなく、あくまで薬の注入として使います。あと腸を動かすために、300カロリー分くらいの栄養は入れますけど」
と医師が言うので、お任せしますと了解しました。
その10分後には装着。

そして胃管が入ってから4日間、またおナカさんは眠り続けました。
呼びかけるとたまに薄く目を開けるような感じはありますが、ほぼ眠った状態です。
再び心配の日々が続きました。
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胃管の装着は期間を決めて、1週間から10日と聞いていましたが、5日目の水曜日に病室を訪れてカーテンを開けると、なんだかポケンとした表情の母が子どものような顔でこちらを見ています。
えっ?!
「オカーサン、胃管取れたの?」
「うん♪」
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堤先生からの報告では、自分で胃管を取ってしまったそうです。
「その後本人と話しましたが、もう(胃管を)入れたくないというので、やりません」
と告げられ、私の中には不安が広がりました。
「それでも本人はすっきりした顔をしてるんですよね。なぜかアルカリ性と酸性のバランスが良くて、これがなぜなのか分かりません」
肝性脳症でこの状態になると、意識が戻らない人が多いらしい。
けれど、蘇りました。

思えば、20年前の蜘蛛膜下出血のときも「助からないので覚悟してください」と医師に告げられ、親族が病院に集結したと聞きます。
“聞きます”というのは、この時、親不孝者の私はスコットランドなどにいましてね、この事態を知らなかったのです。
父も父です、たまたま国際電話で家に電話をした私に嘘をついて、このことを知らせなかったのですよ。
知らせたってしょうがないだろ、という気持ちだったようです。

そしてかれこれ38年ほど前に左ひざを粉砕骨折したときにも、
「もう一生車椅子です」
と告げられたのですが、ほぼ普通に歩けるようになり、リハビリも兼ねて社交ダンスの教室に通ったり、朝晩はクックの散歩をするほどになったのです。そういうおナカさんを誰もが
「護られているのよ」
などと言います。
誰に(何に)護られているのかって? 祖母だったり、今回は父(守クン)だったり、でしょうか……?

けれど(腹水が溜まって)カエルのように膨れた腹を見たり、手や足そして顔や唇までもがゾンビのように皮がボロボロと向けた母の姿を見ている私は、今回はダメなんじゃないかと…さすがに打ちひしがれていました。
ところが、目を開けている!
すぐに弟はじめ叔父や叔母、知人友人たちにメールで知らせました。
「母が長い眠りから目覚めました!」


しかし、その後医師からの説明を聞いて再び落ち込みます。
今回は目を開けたけど、今度意識が落ちたらもうダメだと思う、というのです。そして、いつその時がくるか分からないし、いつ来てもおかしくないと。
この先、一生寝たきりになりますと言われたのは前回での説明。
その時も期せずして涙が流れ出てしまいましたが、今回も知らぬうちに流れてきました。

この先、転院か自宅に連れて帰るか、の選択を迫られました。
「こんなに家に帰りたがっているので、家に連れて行ってあげた方がいいんじゃないかと思います。クックも傍にいるし。家に連れて帰るなら、今が最期のチャンスになると思います」
「連れて帰ったとしたら(母の命は)どのくらいですか?」
「2-3日から一週間…」
「・・・・・・」
医師という職業柄、最悪のケースに備えるのでもっと長く生きられるかもしれない、とおまけのように付け足されました。

5月21日のおナカさんの入院から、一生分の涙を流してきたように思えます。
母が私の物を次々となくして、
「オカーサンが来る前は平和だった!」
と吐き出した言葉。
「死んでお詫びをするから!」
と返した母の言葉。
これらが何度も何度も思い返されました。

死んでお詫びにならないからね!
心の中で怒りや侘びや後悔や願いといった感情がごちゃ混ぜになりながら、焼けビールを飲んでは泣き、泣いては飲み、あげくに頭が痛くなり、鼻がつまって息ができなくなって少し感情がトーンダウンする、を繰り返しました。

そういう中で、心の慰めになったのはクックです。
彼女も皮膚病や左目右目また左目と角膜を患い、その都度動物病院に駆けつけました。
おナカさんとクックのダブル介護は、ただただ夢中。
でも会社から帰宅するとしっぽを振って飛び回る姿や、夜ベッドに寝ているときに私の足に伝わるぬくもりや振動は、共にこの環境を乗り越えようとしている者同士という感じがして、存在してくれているだけで救われた気持ちになったものです。
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さて、転院か在宅介護か。
意識があるうちに家に連れて行ってあげたいという気持ちは強くありましたが、一週間の命を覚悟して連れて帰る勇気はありませんでした。目の前で死なれることを想像するだけで堪らなくなります。

叔父や叔母や弟、知人友人の何人かに相談しました。
転院に賛成されると、少しホッとしている自分がいました。そして同時に、あんなに家に帰りたがっているのに…という罪悪感のような気持ちの間を行きつ戻りつ。 そしてまた飲んだくれるのです…

結果、よこすか浦賀病院に転院する方向で進めてもらうことにしました。

さて転院まであとどのくらい共済病院にいられるのか分かりませんが、その間少しでも母の容態が良好に向かうよう考えねばなりません。なんせ次は療養病棟に移るのですから。
ええ、療養病棟では一般病棟のような治療をしてもらえないと聞きましたので……

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8月6日、うみかぜ公園で花火大会がありました。
おナカさんの病室は特等席。
私は夜、クックと病院に駆けつけました。(とはいってもクックは車の中で待っていましたが)
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看護師さんがベッドを窓に向けてくれたり、写真を撮ってくれたり。
目の前に大きく咲く大輪の花火を見ながら、呪文のように何度も自分に言い聞かせました。

きっと快方へ向かう前兆だ……


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# by anrianan | 2016-12-14 13:18 | ■とりあえず日記
余談ですが……
おナカさんが昏睡状態に入る前の6月29日、「クックとおナカさんの再会」が実現しました。
これは付き添いの看護師さんが撮ってくれたベストショットです。
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ちなみに、この看護師さんは芸能界にいてもおかしくないほどきれいでかわいい女性。
今回ご本人の承諾をとっていないので、写真を載せることができません。 残念!

話は逸れますが、横須賀共済病院の8階の看護師さんはきれいな人が多い! そのことに入院当初驚きました。
さらに、きれいな上に優しい。一般的には外見がいいと性格が悪いとか、外見が悪いと愛嬌があるといわれますが、あそこはどうも例外です。

話は戻って、
七夕が近かったので、病棟の入り口には大きな七夕飾りがありました。
毎日祈りをこめて面会に通ったものです。

「お母さんがもうすぐ来るよ」
とクックに言うと、ジッと入り口を見続けていました。
「ほら! お母さんが来たよっ!」
そういわれても、ストレッチャーに寝ている母を認めることができません。
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主治医自ら付き添って来てくれました。
そして、実はこの先生も犬好きだということが判明。
クックがおとなしく抱かれています。(男性には吠えることが多いのですが)
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クックに会いたい、と言い続けていたおナカさん。
ほんの15分~20分ほどの再会でしたが、この後とても元気になりました。

そしてこの後、7月10日に下血して意識を失うという経過をたどるのです。


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# by anrianan | 2016-11-26 17:04 | ■とりあえず日記